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2026年4月28日
空援隊が沖縄県西原町で実施した戦没者遺骨収容で、次々と遺骨が見つかりました。遺骨をどのように探し、発見にいたったのか、調査レポートです。
『2026年4月沖縄 戦没者遺骨収容レポート
―西原町で多くの遺骨見つかる―』
空援隊YouTubeチャンネル
(2026年4月掲載)
※よろしければ画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい


2026年4月28日
空援隊が沖縄県西原町で実施した戦没者遺骨収容で、次々と遺骨が見つかりました。遺骨をどのように探し、発見にいたったのか、調査レポートです。
『2026年4月沖縄 戦没者遺骨収容レポート
―西原町で多くの遺骨見つかる―』
空援隊YouTubeチャンネル
(2026年4月掲載)
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2026年4月28日
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2026年4月18-24日 シアターセブン)において、スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』が、4月23日に上映されました。上映は平日の昼間、しかもその日は雨と風の荒天でしたが、会員さんを含めて多くの方にご覧いただきました。
上映後の舞台挨拶では観客から質問を頂戴しました。活動をしっかりご理解いただいた質問で、いっぱい話したくなる思いをおさえながらお答えしました(うまく答えられず…)。劇場に足を運んでいただいた皆様、そして主催者の皆様に感謝申し上げます。
スタッフが舞台挨拶をしました。
2026年4月6日
本日は最終日。多く見つかった遺骨の整理や資材の片付け、本部撤収がメイン作業です。空援隊の遺骨収容は、掘るだけではありません。戦没者を少しでも多く早く収容するには、現場で安全に皆さんに活動いただくことが大前提となります。そのために本部を置き、滞りなく作業できるように、支援体制を作っています。また、遺骨や遺留品を管理するのも本部の仕事。本部があるから、現場作業に集中できます。今回は特に遺骨が多く見つかったので、遺骨の整理が全く追い付きませんでした。最終日は、現場を閉じて、あとは本部作業を手伝いました。
遺骨収容と聞くと、発掘のイメージがありますが、それができるのも、私たちの活動においては、本部を含めて、発掘作業を支える様々な作業があるからです。連日土砂運びだけ、また、確認した土を置く場所を作る等々…掘る作業に全く関わらないこともざらです。初日の資材運びだけでなく、最終日の本日は、終了・片付けの作業も含めて、参加者の皆さんにかかわっていただきました。今後も、発掘だけではなく、様々な作業が必要な非常に広い現場です。発掘だけではない作業もありますが、それでもよろしければ、次回またご参加ください。
≪西原町第1回調査 結果≫
・ボランティア参加者数:のべ約120人(4日間)
・収容遺骨:遺骨収集情報センターにいったん預けます
※厚労省の遺骨の数え方がわかりませんので、収容数ははっきり分かりませんが、現在推定数を確認中。
・自衛隊が収容した爆発物
・旧軍製50㎜重擲弾 10発
・旧軍製手榴弾 32発
・米軍製手榴弾 1発
・発煙筒 4発
・小火器弾 88発
朝から沖縄テレビ(OTV)さんと沖縄タイムスさんが取材に来られました。沖縄テレビ(OTV)さんはこの日、そして沖縄タイムスさんは翌日の朝刊トップ紙面に報道しました。
朝の訪問者がもう一組。
自衛隊の爆発物処理班が手榴弾等を収容しました
発掘はほとんどせず、土嚢を作り現場を閉じる準備。
ブルーシートを溝にかぶせ現場を閉じます。
遺骨の泥落とし
常連参加者からは「これまでの現場で見たことがないくらい多くの遺骨」との声
午後の飛行機で帰る東京からの参加者(高校生)。帰る直前まで作業くださった。
見つかった遺骨の一部
遺骨に比べて遺留品は非常に少ない。今後掘ってみないと調査地がどんな場所だったのか、どんな戦闘が行われたのかは分かりません。これから遺留品がもっと出れば、何かわかることがあるかもしれないし、そうでないのかもしれない。私たちも試行錯誤で調査しています。
近くの公民館区長さんらが、お供え物を持って訪問くださった。じっと手を合わせられていました。周辺の区長さんらの協力と理解もあって活動が円滑に進んでいます。
常連参加者からのお供え物
4日間でのべ120人のボランティアに参加頂きました
4日間(実質業日数は2日間半)でこれだけの遺骨を収容。ご遺骨は遺骨収集情報センターに預けます。
2026年4月5日
本日も多くの遺骨を収容しました。1日の収容数としては、空援隊が沖縄で発掘調査を始めて以来、一番多かったです。私たちが10年以上前に発掘したサイパンでの集団埋葬地を思い出しました。作業している皆さんの後ろを通るたびに「遺骨が見つかりました、大きいです」という声が。本日のボランティアは50人。高校生、大学生、有志の自衛隊員、県外からの会員、沖縄駐留のアメリカ兵等々が今日も一緒に活動しました。
掘っている場所は交通壕(連絡壕)ではないかと、今のところ推測しています。その場所は斜面の下。斜面に沿って50人近くが1列に並んで掘ると、どこの場所でも遺骨が見つかり、溝になりました。戦後、その溝にさとうきび畑から見つかった遺骨を置いた(放り込んだ)のかもしれません。また、遺骨を収容すると更にその下から次々と遺骨が見つかる場所も。もしかしたら、下の遺骨は、戦闘後、溝に死体が放り込まれた、また、そこでそのまま亡くなられた可能性もあります。
明日で「今回の」調査は終了ですが、まだまだ全く終わりません。交通壕であれば、1m50㎝は掘り下げる必要があります。横幅もまだ狭いので、広げる必要もあります。
空援隊の沖縄調査の初期から参加くださっている参加者が「これまでこんなにたくさん見つかることはなかったですね」と口にされていました。1日中掘り続けても何も見つからないことは、遺骨収容では当たり前です。それでも土砂を運び続け、何もないことを確認してきました。戦後81年経って、沖縄で、こんなに多くの遺骨が見つかるのか…というのが正直な感想です。
早朝は土砂降りの雨。作業の説明は、急遽、雨のしのげる場所に移動。
掘り進めると、交通壕だと思われる溝が見えてきました。
今回掘っている場所の中間地点。まだまだ、先に続きます↓
今の溝は約50mですが、これがずっと先に続くと思われます。何百メートルになるのか…。
溝に沿って歩いていると、どこからでも「遺骨が見えています」という声が。
ここでも遺骨が。写真はそのごく一部です。
大腿骨を掘り上げたところ。
このような光景がどこでも見られました
皆さんの後ろには収容した遺骨。この光景もどこでも見られました。
がつがつ土砂を掘る場面で、毎回シャベルを両手に活躍いただいている常連参加者(自衛隊員)。今回は座って終日こつこつ。
最初は溝の外から掘っていましたが、溝が深くなり、溝の中で作業
日本陸軍のヘルメット
↑ヘルメットの中には頭骨がそのまま残されていました。頭蓋骨丸々そのまま見つかったのは、2日間で7体分。
見つかった遺骨のうちの一部。多すぎて遺骨の整理や、撮影が全く追いついていません。
早朝は土砂降りでしたが、昼間にはすっかり晴れました。戦没者も81年ぶりに陽のもとに(これらの遺骨も見つかったうちのほんの一部)。
2026年4月4日
「掘ってみなければ分からない」というのは、「遺骨や遺留品が見つかりますか?」「遺骨が出ると分かっていて掘ったのですか? 」等と聞かれた際に、これまで何度もお答えしている言葉です。しかし、本日は誰に聞かれるわけではなく、そのセリフが何度も頭に浮かびました。というくらい、たくさんの遺骨が見つかりました。
今日は1日中雨の予報だったので、到着した人から早速作業開始。まずは昨日同様、地表の葉っぱをどけます。枯葉の下に遺骨がないかを探すためです。次にその場所に金属探知機をかけ、反応した場所を掘ります。金属探知機が反応した場所のひとつに、事前調査で地表に大腿骨が見つかった場所がありました。掘ってみると遺骨や遺留品が次々と。更にその場所を左右に広げてると遺骨や遺留品が。当初は2人で掘っていましたが、場所を広げるたびに「掘り部隊」を増やし、最終的には40m程に広がった場所を、参加者全員の約30人が一列になって掘りました。どの場所でも約15㎝くらい掘ると、遺骨や手榴弾、発煙筒等、爆発物が見つかります。
地元の人によれば、戦後サトウキビ畑だったとも聞くので、見つかった遺骨や爆発物を脇に置いた(放った)のかもしれません。見つかっている場所は、斜面の下です。皆さんが掘っている場所を通るたびに「これは遺骨ですか?」と聞かれ「まさに。」という会話を何回も繰り返しました。正直、調査開始前には、遺留品や爆発物は見つかっても、遺骨はほとんど見つからないかもしれないと思っていました。しかし、まさに
「掘ってみなければ分かりません」
多数の大腿骨等、足の骨、そして頭蓋骨も丸々1体見つかっています。
昼過ぎに雷が鳴り、雨も強く降ってきたので、今日は作業を中断しました。まだ遺骨が見えている箇所がいくつもあります。明日もこの続きをします。
ちなみに…、天気予報では今日は朝から雨、次第に強雨ということでした。しかし、昼過ぎまで雨とは無縁。途中、太陽も顔を出しました。大勢のボランティが集まったのを知り、81年間埋まったままの戦没者が、土から出してほしいと願ったのかもしれないと思うような天候でした。空援隊の現場では、不思議と調査に大きな影響を及ぼすような天候にはなりません。
今日も葉っぱを掃除し、金属探知機をかけます
葉っぱを集めて、運んで捨てる、の繰り返し
地表で大腿骨が見つかった場所で、金属探知機が反応。掘ると遺骨が見つかりました。最初は2人で作業していましたが遺骨や遺留品が次々と見つかるので範囲を広げることに↓
掘り部隊を増やしたところ、そこからも遺骨や遺留品が。そこで、発掘場所を左右に延長↓
参加者全員一列に並んで調査
各場所で遺骨が次々と見つかります。
遺骨の写真を撮る暇がない!
昨日と今日半日で、手榴弾、発煙筒、迫撃砲弾、等々爆発物が約30発
今日は1日中雨の予報でしたが、昼食時には日差しも。
雷鳴が聞こえ雨脚が強くなってきたので、午後は1時間ほどで作業終了。今日の最年少参加者は12歳、高校生や大学生、沖縄駐留のアメリカ兵も含めて今日も、国籍・年齢様々の人たちが一緒に作業しました。
2026年4月3日
沖縄県西原町において戦没者遺骨収容を開始しました。西原町は住民の半数が戦争で犠牲になったとも言われる、沖縄戦初期の激戦地の一つです。調査場所は日米の陣地があり、激しい戦闘が繰り広げられました。地元の人の話では、地表にあった遺骨は収容されたものの、犠牲者が非常に多く、大きな遺骨だけが収容されていること。また、大々的な遺骨収容は行われておらず、取り残された遺骨があること、戦後サトウキビ畑だった時期があるので、見つかった遺骨は適当な場所に置かれた、子供の頃手榴弾で遊んだ…等の話を聞きました。皆さんが一様に口にするのは「遺骨収容は終わっていない」ということです。そこで、徹底調査することになりました。
空援隊は2022年から沖縄で発掘調査を始めましたが、屋外での調査は初めて。壕での調査とは全く勝手が違い、地表の枯葉をどけて遺骨の有無を確認したり、金属探知機で反応があった場所を掘ったりと試行しながらの調査です。このような調査では、遺骨は探しにくいと思っていたところ、脚と思われる遺骨が。その遺骨の中には、木の根っこが生えて地面に張りついていました。そのすぐ後に、別の場所でも大腿骨の一部が見つかり、そのすぐそばを掘ると浅い場所から、足の骨や手榴弾、発煙筒も。毎回思うことですが、「やってみないと(調査してみないと)分からない」ものです。
平日でしたが約20人が参加。中学生の頃、調査地のすぐそばを学校帰りに通っていたという西原町出身の大学院生、常連の大学生、県外からも多数の会員、沖縄駐留のアメリカ兵や軍関係者らも参加しています。明日からの土日は、人数が倍以上になります。天気予報は雨で、どんな調査になるか分かりませんが、今回も大勢の参加者と調査を行います。
みんなで道具運びから調査開始
葉っぱをはらって地表に遺骨がないかを確認する
「竹ぼうきがほしい」という声も聞かれるくらい、まさに枯葉掃除です
骨の中に根っこが生えている
大腿骨や手榴弾が一緒に見つかった。
地面に突き刺さるような状態で遺骨が見つかるのは珍しい。
下あご
大学生、大学院生、沖縄駐留のアメリカ兵のチームで遺骨が見つかった周辺を掘り出す
2026年3月28日
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2026年4月18-24日)において、スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査ー』が上映されることになりました。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて作品が上映されます。このプログラムでは、スタッフの作品を含めて全部で4作品上映され、スタッフの作品は3作品目に上映されます。当日はスタッフも劇場に参ります(舞台挨拶の予定)。
多くの皆様のご来場をお待ちしています!是非、関西のお知り合いにもお声がけ下さい。
映画祭では、昨年の東京ドキュメンタリー映画祭2025の受賞作品や話題作品等、多彩な作品が上映されます。そちらもどうぞご鑑賞ください。
| 日時 | 2026年4月23日(木)12時~ 短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」で上映されます ※舞台挨拶もある予定 |
| 場所 | シアターセブン (阪急「十三」駅から徒歩5分 ビルの5階) |
| 公式HP | 東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA |
2026年3月27日
昨年(2025年)8月に、沖縄県糸満市の陸軍構築壕から見つかった筆箱が、昨日(3月26日)、札幌のご遺族のもとに帰りました。
筆箱の持ち主は、都築忠夫さん。北海道栗山町出身で、記録では陸軍24師団歩兵32連隊所属の伍長、沖縄戦終結直前の1945年6月20日に戦死されました。
筆箱を受け取られたのは、忠夫さんの甥の都築利雄さん(87歳)。利雄さんの父親の弟が、忠夫さんです。利雄さんは忠夫さんの記憶はなく、自身の父親の秀雄さんも忠夫さんについて多くを語らなかったとのこと。利雄さんが戦死された年齢を含めて詳しいことが分からず、身近に感じることはなかったとのことでしたが、筆箱を受け取り、「(叔父が)亡くなった事実を実感し、悲しい」と話されました。また、戦後、都築家に送られてきた白木の箱を秀雄さんが開けると、入っていたのは沖縄の石ころ1つだけ。「遺骨が入っていると思っていたが・・・」という気持ちを思い出されていました。
仏壇には、父親の秀雄さんの写真の隣に、軍服を着た忠夫さんの写真が置いてありました。利雄さんは筆箱を仏壇に置き、じっと手を合わされました。戦後81年が経ち、戦没者を直接知らないご遺族のなかには、遺留品の受け取りを断る方もいらっしゃいますが、利雄さんは、遺留品を受け取るのは仏壇を守っている自分の当然の務めだと話されていました。
この壕は全3回調査し、のべ585人のボランティアが従事しました。多くの方が携わったことで、81年ぶりに遺留品が沖縄から北海道に帰りました。
北海道在住で、空援隊理事長の千葉英也(北海道議会議員)が筆箱をお渡しした
筆箱(右 蓋と思われる)と同じ場所から見つかった認識票(左)もお返しした
「都築忠夫」と彫られていた筆箱
認識票 「山三四七五」は、忠夫さんが所属してた歩兵第32連隊の呼称
仏壇に置かれていた忠夫さんの写真
忠夫さんの甥の都築利雄さん
利雄さんは「筆箱がここに帰ってこられてよかった」と話した
2026年3月18日
大分県中津市で開催された第三回山国映画祭(3月13-15日)において、スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が上映されました。ゆったりとした時間が流れる山間の自然豊かな場所での映画祭。素敵な場所で作品を上映いただけたこと、作品をご覧いただいた皆様、そして主催者の皆様に感謝申し上げます。地元の方が今シーズン最後の寒さかもと話し、霰も時折降るなか、遠方から会員さんもご参加くださいました。嬉しいひと時でした。
日差しは春でしたが顔にあたる風が冷たい!
古民家カフェ「山国きのたんく」で上映
沖縄 旧海軍司令部壕 未公開箇所 戦没者遺骨収容(2022年-2024年)に参加されたご遺族の荒川恒光さんが奥さまと福岡県から駆けつけてくださいました。
2026年3月1日
2月22日~24日、沖縄県糸満市において戦没者遺骨収容を実施しました。参加者は大学生や大学院生、教員ら。空援隊と旧知の教授からの依頼で、学生の沖縄研修の一環として実施しました。大東文化大学、名城大学、青山学院大学、中京大学、ワルシャワ大学、京都大学、姫路女学院、専修大学、お茶の女子大学から総勢26人、地元サポートボランティアを含めて3日間でのべ77人が従事しました。
場所は昨年8月と11月に調査した壕。11月調査最終日に、戦後の遺骨が見つかり警察が駆け付け、掘り終わらなかった箇所がありました。今回はそこを調査、完掘しました。また、おととし8月から調査してきた壕から見つかっていた民間人と思われる7体分の頭蓋骨等を整理し、学生たちと共に、最終日に遺骨収集情報センターに提出しました。
今回の調査は、壕を閉じるために半日ひたすら土嚢を作り、遺骨がないことを確認するための発掘等、調査を終える作業がメインで、遺骨や遺留品を見つける機会はほとんどありませんでした。長年遺骨収容に携わっていれば、それも遺骨収容のひとつだと理解できますが、遺骨収容と聞いて想像する作業とはかけ離れた土木作業が続き、初参加者ばかりの学生らは面食らったかもしれません。「その作業全てが遺骨収容です」と言葉を重ねたところで、理解を得られない難しさを感じながら作業していました。最終日、今回終えるのは難しい可能性があるなか作業を開始しましたが、各自ができることを進んで見つけ、工夫を重ねて一致団結したことで、なんとか完掘できました。
作業の途中、「壕ってこんなに暑いんだ」「作業がしんどすぎる!」という言葉が聞こえてきました。スタッフにはその意味がとてもよくわかります。取り立てて特別な感想ではないと思う人も多いでしょうが、これらの言葉は、実際に現場で作業したからこそ出てきた言葉。文章にすると伝わりませんが、実感がこもっていました。事前に想像していた作業ではなかったかもしれませんが、机上では絶対に知りえないことを体験した機会となったようです。大変でしたが一つの調査を終えられました。皆さんお疲れさまでした。
2ヵ所に分かれて調査。一組は遺骨の整理。
もう一組は壕を閉める作業。
この日は人数が少ないため、いつもより丁寧に説明。
まずは道具の名称や置き方から。
土嚢の作り方も説明
土嚢で入口を塞ぐ。学生にもやってもらいました。
翌日の調査予定地から、岩や土砂を運び作業しやすいように整備。大きい岩がいくつもあり「重い!」「大変!」という声も上がりましたが、翌日の作業後には「初日のほうが完全に楽だった…」という感想に代わっていました。
沖縄県議の瑞慶覧長風議員が視察
皆さんこの日はまだまだ余裕でしたが…
集合時間の20分ほど前には学生さんらが全員集合!スタッフより早く来たチームも。
開始直後は3チームに分かれましたが、今回で完掘させるため、全員壕に入る作戦に変更。まず先頭で土砂を掻き出し。
掻き出した土砂を30m先まで
約20人でバケツリレー
30m先は長い
まだまだ中盤
最終尾は天井が低く、ずっと中腰。
これがきつい!
背の低い人に代わりましたが
それでも中腰!
壕内でひたすら掘り続け、重い土砂を運び続け、かなり汗をかきました。ちなみに、発掘はローテーションしたものの、だんだん人員が減り、大変だったのが感じられました。
前日の作業終了後は笑顔だった参加者が、本日は疲れていました…
午前中で完掘するために、急ピッチで作業を進めます。作業に慣れてきて動かす手も前日より速くなってきました。
指示しなくても、工夫しながら作業を進めていました
後日壕を塞ぐための土嚢を80個作成。
土嚢づくりチームのリーダーは学生が担当。
小さな隙間から次々と弾頭が…。
時間が迫るなか人手がとられました。
壕での作業と並行して
外ではテントを畳み、資材を洗いました。
なんとか完掘。
昨年8月に調査を始めた頃、赤い線の高さまで土砂が積もっていました(赤い線を境に色が変わっています)。昨年11月と今回でその土砂を全部運び出し、壕が造られた当時の状態が分かりました。スロープと階段状になって奥に続き、現在岩で閉じられている奥は、戦時中は出入り口だったと思われました。
我々がおととし(2024年)8月から調査した壕から見つかった遺骨。場所は今回の洞窟から徒歩20分程のところ。これらを提出するため全員で平和祈念公園に。
戦没者遺骨収集情報センターに提出。
所要時間約3分の簡単な引き渡し。
2026年2月21日
沖縄NICE映画祭4(2026年1月23-25日)において、スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、NICE特別賞を受賞しました。この賞は、上映(入賞)だけに留まらず、多くの映画ファンに向けて「今観るべき映画」として沖縄NICE映画祭が、その作品性を「傑作」として認める賞とのことです。映画祭では多くの皆様にご覧いただきました。どうもありがとうございます。
尚、この作品は、第3回山国映画祭でも上映されます。どうぞご鑑賞ください。
■舞台挨拶がYouTubeに掲載されています。
『『沖縄NICE映画祭4』 Eブロック舞台挨拶』
2026年2月21日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、大分県中津市山国町で開催される第3回山国映画祭(3月13-15日)で上映されることになりました。スタッフの作品は「短編上映プログラム」で上映されます。詳細は以下をご覧ください。多くの皆様のご鑑賞をお待ちしています!
| 日時 | 「短編プログラムA」で上映されます 2026年3月13日(金)13時39分~ 2026年3月14日(土)17時59分~ ※上映時間は目安です。お早めにお越しください。 |
| 場所 | 山国きのたんく (大分県中津市山国町守実商店街のレトロな温泉宿をリフォームしてインディーズ映画が気軽に鑑賞可能なマイクロシアター&カフェ&バー) |
| 公式HP | 第3回山国映画祭 |
2026年2月14日
2026年4月に、沖縄において戦没者遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
【期間】2026年4月3日(金)-6日(月)
※最短参加日数は1日(終日)以上。期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
【場所】参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄県在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方
【参加条件】
○ご入会ください。
○戦没者への哀悼の意を体現するため、滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】2026年3月19日(木)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
1日(終日)以上参加可能なこと、他
※その他についてはお問い合わせ下さい。
【締め切り】2026年3月25日(水)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでのお問い合わせの際には、必ず電話番号もご記載下さい。空援隊からのメールが届かない場合があるためです。
お問い合わせいただいてから通常3日以内に返信しています。もし3日経っても連絡がない場合は、お手数ですが電話でお問合わせ下さい。また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合もありますのでご確認下さい。
2026年1月26日
昨日見つかった器は、有田焼の「深川製磁」が戦前に海軍省に納めた士官用の食器だったことが、同社への問合せで分かりました。明治の近代化を進めるにあたり、海外との折衝の際には晩餐会、食事が重要な要素となり、皇室と共に各国大使館、旧帝国海軍でも英国式洋食器と和食器が導入されました。それを同社が納めてきたとのことです。
たった1つの遺留品から、81年前の方々や、出来事に思いを馳せるきっかけとなりました。それが可能となったのも、1年間、協力者がこの壕を調査してきたからです。また、スタッフはただの器だと思い、出てきた直後の撮影をすることもなく、掘り続けていましたが…、珍しい器だと教えて下さったのも協力者です。皆さんのおかげで私たちの活動が成り立っています。改めて感謝申し上げます。
ちなみに、私たちは2022年10月から全5回、海軍司令部壕の未公開箇所を調査しましたが、その際に既に同社の器を見つけていました(気づいていませんでした)。旧海軍司令部壕で展示されている、未公開箇所調査の遺留品の中に同社の器が並んでいました。沖縄にお越しの際には、是非、実際にご覧ください。
旧海軍司令部壕で展示されている
海軍士官用食器『波に桜花模様』。
昨日見つかった器と同じ柄
↓裏には「富士に流水」の商標
2026年1月25日
協力者の自衛隊員ボランティアチームが、昨年1月から調査してきた旧海軍司令部壕(豊見城市)周辺にある壕の調査が終わりました。
本日は、自衛隊員が多く、また一般の参加者もパワフルなひとたちばかり。狭い壕内に1m以上堆積した土砂を、前方でガツガツ掘り、後方チームがそれを途切れなく運びます。良いチームワークで次々と土砂が掘り出され、計画していたよりも広範囲を確認することができ、最後に、壕を閉めました。
今回の2日間の調査では、既に調査がほぼ終わっていたため、ほとんど遺骨は見つかりませんでしたが、珍しい遺留品が見つかりました。その一つが日本「陸軍」の軍隊手帳。ここは「海軍」の壕ですが、戦禍が激しく、色々な人達がこの壕にいたことを思わせるものでした。1年間協力者が見つけた遺骨を、明日、「戦没者遺骨収集情報センター」に預けます。
ちなみに、この遺骨を厚労省が何体と数えるのかは私たちにはわかりません。というのは、厚労省から収容数の報告がないためです。おそらく、ボランティアへの報告義務はないからだと推察しますが、遺骨収容を「国の責務」としている活動を、国に代わって行っているボランティアに対する国の姿勢がそれです。
次回の大規模調査は3月の予定です。
集合時間までに全員がそろいました。
地元の高校生や沖縄駐留アメリカ軍関係者も参加しました。
前方で掘り出した土砂を、後方チームが運んでいきます
大きな岩を自衛隊の皆さん(別称:アベンジャーズ)が動かしてくださいました
通りがかった平和学習に訪れた福岡県のグループが現場を視察
日本陸軍の「軍隊手牒」
長年遺骨収容にかかわってきた方が「見たことない」と話していました


裏印から有田焼の宮内庁御用達の「深川製磁」社のものと思われます
戦前・戦中のものかは調査中です。
※「深川製磁」製だと分かりました(2026年1月26日)
この壕で見つかった遺留品(一部です)
壕を閉める前、1年間調査してきた協力者がお酒をお供えしました。
壕がまた一つ、完掘しました。
2026年1月24日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、本日、沖縄NICE映画祭4(2026年1月23-25日)で上映され、参加してきました。遺骨収容仲間が大勢足を運んで下さり、中には空援隊の活動に理解くださっている役人さんの姿も。
多くの遺骨が残され、国の事業が進んでいないのはサイパンでも同様。更にサイパンでは民間団体にとってより厳しい現状があり、それらを少しでも知って頂くために制作しました。多くの方にスクリーンでご覧頂け、大変光栄でした。
そして映画祭の後に、沖縄で初の新年会を開催しました。
明日は現場に戻ります。
桜坂劇場(那覇市)で沖縄NICE映画祭4が開催
上映後に舞台挨拶も
倉田宇山専務理事も急遽登壇
現場調査の常連さんばかりでざっくばらんな会でした
2026年1月23日
沖縄県での今年初の戦没者遺骨収容を実施しています。
場所は旧海軍司令部壕(豊見城市)周辺にある壕。旧海軍司令部壕においては、2022年10月から全5回、空援隊は未公開箇所で遺骨収容を実施し、多くの遺骨や遺留品を見つけました。その調査が終了した2024年1月以降、協力者のボランティアの自衛隊員らが司令部壕周辺にあるいくつかの小さな壕を、休日を利用して調査してきました。最後の1つとなった壕を、2日間で完掘することが今回の目的です。
協力者らが調査を始めた当初、地表に遺骨があり、調査するたびに大腿骨等遺骨が見つかりました。梅雨に冠水し、水が引いた後も土砂が泥のような状態だっため、数ヵ月発掘収容作業を中断。その間は壕口を広げて出入りしやすくする等、協力者が整備してきました。既に壕底(=壕が造られた当時の床)まできれいに掘り上げられていて、残っている箇所はわずか。小さな遺骨や歯、遺留品が混じっている土砂をふるいで確認。また土砂が40cm以上堆積した小さな部屋では、壕底まで土砂を掻き出しました。人数が少ないなか、調査を続けてきた自衛隊員らや、常連の参加者らのおかげで、作業が進みました。残り1日で壕を閉じます。
入口から、らせん状の階段を下りた場所
協力者らがほぼ調査を終え、残っている土砂を精査
ベテラン勢(平均年齢70歳以上!)のふるい隊
シャベルで土砂を入れる人、ふるう人と
ローテーションしながら作業されていました
水が浸入し、土砂が流れてくるため土嚢で補強。
ただ掘って終わりではない協力者の作業を見て
信頼できる仲間と一緒に活動できる嬉しさを改めて感じました。
常連の自衛隊員と名桜大生のチーム。
↓しっかり土嚢で埋められました
40cm程土砂が堆積していた場所。
中腰での作業はかなりきついですが
自衛隊員が掘り上げ、最終日に終える目途がつきました。
掘り出した土を土嚢に入れる。
これは壕をふさぐために使います。
スタッフも久々に丸一日作業し最後はヘロヘロでした…
大腿骨等大きな骨
協力者らが小さな骨も見つけてきました
小銃弾は400発以上
2026年1月9日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、沖縄NICE映画祭4(那覇市)で上映されることになりました。映画祭は1月23日(金)-25日(日)に開催され、様々なジャンルの作品が並んでいます。スタッフの作品は「Eブロック」で上映されます。詳細は以下をご覧ください。多くの皆様のご鑑賞をお待ちしています!
| 日時 | 2026年1月24日(土)10時~ ※1番最初の上映です。このブロックでは他に2作品上映されます。 |
| 場所 | 桜坂劇場(那覇市) |
| 公式HP | 沖縄NICE映画祭4 |
2025年12月9日
スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』が、東京ドキュメンタリー映画祭で上映されました。会場は満席に近く、会員さんらも駆けつけて下さいました。
2回目の上映は、12月15日(月)10時からです。是非劇場に足をお運びください。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて上映されます。
| 日時 | <2回目>12月15日(月)10時 |
| 場所 | 新宿ケイズシネマ(東京都新宿区新宿3丁目35-13 3F)JR新宿駅 東南口 徒歩3分/東口 徒歩5分 |
| 公式HP | 東京ドキュメンタリー映画祭 |
スタッフが舞台挨拶をしました
2025年12月9日
東京で報告会を開催しました。遺骨収容の常連さん等、気心の知れた方々が多く、遺骨収容の現状や国の事業の問題点等々、ざっくばらんに気ままに語りあいました。
遠方から(静岡、岐阜、関西)もご参加くださいました。
2025年12月6日
専務理事の倉田宇山が、令和7年度本館主催講座 市民講座に講師として招かれ「戦後80年、戦没者の遺骨収容の実態」というテーマでお話ししました。
フィリピンで父親を亡くされたご遺族や、遺骨収容に参加されたことのある方、また遺骨収容について何も知らない方も含めて、皆さん熱心に耳を傾けてくださいました。ほとんどの国民が知らないことが、この活動が進まない要因のひとつです。今後も遺骨収容について伝えていくことも必要だと改めて感じました。開催にご尽力いただいた皆様に改めまして御礼申し上げます。
講演会開催にご尽力下さったメンバーのお一人
会員の子安一宏さん
(日本ウクライナ交流会の代表もされています)
空援隊専務理事の倉田宇山
厚労省の遺骨の収容数と予算のグラフ
予算は大幅に増えているのに、収容数がそれに全く増えていない実態。 かなり減っている年も・・・
皆さんからの質問が核心をつくものばかりで時間いっぱいお話ししました。
2025年11月22日
活動報告会を東京新宿において開催します。軽食をいただきながら、ざっくばらんにお話しする予定です。
ご参加ご希望の方は12月3日(水)までにご連絡下さい。事前予約制です。
尚、同日、新宿の新宿ケイズシネマで開催される東京ドキュメンタリー映画祭において、スタッフが作成した沖縄遺骨収容の映像が、14時25分から上映されます(参照)。報告会後スタッフも参ります。こちらにも是非足をお運びください。
※会場の都合上、事前予約制です。
ご参加ご希望の方は、12月3日(水)までにご連絡ください。
| 日時 | 2025年12月7日(日)11時30分~13時30分 |
| 場所 | 場所は参加者にお伝えします。 JR「新宿」駅 徒歩約10分の会議室 |
| 連絡先 | メール: office@kuuentai.jp FAX: 075-321-4607 電 話: 075-321-4661 |
2025年11月10日
「掘ってみなければ分からない」
これは、参加者にスタッフがよくお伝えする言葉です。それを改めて今回の調査で感じました。
今年8月から調査を開始し、前回と本日までで合計13日間調査してきました。昨日までほとんど遺骨が見つからず、そのことを否定的に考えている方もいらっしゃいましたが、「ここに残されていなくて良かったです」とスタッフはお伝えしてきました。
明日は現場撤収日のため、本日が実質的に活動最終日。調査の終わりは見えてきましたが「今回の調査で一番の“難敵”の通路が残っている」という話をして調査に取りかかりました。
“難敵”というのは、腰より上の高さに土砂が積もっている長さ約8mの通路。奥に向かって土砂が積もり、高さは約3mになります。この通路を調査するため、入り口前や、その周辺に積もっている土砂を初日から掘り、ようやく本日取りかかれることに。
先頭で土砂や石を掘り出しながら確認し、それを20m以上先までバケツリレー。最終尾では、壕内の石や岩で石垣を作りながら土砂置き場を整備します。先頭でひたすら土砂を掘るのは、沖縄に駐留するアメリカ兵や自衛隊員のなかでも特にパワフルな人たち。かなりの重労働で、午前中だけで「ヘロヘロ」と話す人達や、昨日丸一日掘り続け「握力がなくなってきた」という人も。銃弾は多く見つかるものの、それ以外には遺留品や遺骨が見つからないまま終了時間が近づいてきたときー。
大腿骨等、脚の骨が丸々見つかりました。
更に遺骨がないか掘り進めたいと思いましたが、土砂や大きな石が遺骨の上に乗っていて、時間が足りません。明日は撤収日の予定でしたが、作業を続けることになりました。
遺骨収容では終了間際に遺骨が見つかることも少なくありません。「まだ残っている、終わらないで」と言われているようにも感じられます。
ようやく見つかった遺骨
・・・ということを下書きしてHPに掲載予定でしたが、昨日は掲載できず、今日の分と合わせて掲載しようと、いつも通り朝早く現場に向かいました。尚、この日の活動後、下書きの最後に以下の一文を追記する必要が出ました。
「ちなみに、遺骨の下の土砂の間から見えていた水色の袋。それはこの壕にたくさん捨てられていた戦後の肥料袋でした。それを常連の大学生が見て「戦後の遺骨の可能性もある…?」とつぶやいていたそうです。
参加者は今回最多の約60人。写真におさまりきれません。
“懸案”の通路の先頭。
汗の蒸気が見えるほど暑い中での重労働。
「パワー系」の沖縄駐留のアメリカ兵や
自衛隊員らが掘り続けました。
前方で掘った土砂の運搬
今日も20m以上先まで土砂をバケツリレー
列が長く先頭のリーダーの声が後ろまで届かないほど。
最後尾とのやり取りは無線機を使用していました。
最後尾は土砂捨て場の整備
土砂が流れ出ないように石を積んで石垣を造ります。とぎれなく土砂が運ばれるため、あっという間にここが満杯に近づきますが 土砂置き場が更に遠くなることを懸念するスタッフは「午前中に出た土砂は、できればここに置いてほしい」と無茶なお願い。 色々やりくりしながらその通りにしてくださいました。
別のグループは、未完掘の場所を手分けして調査
「髙田清」さんの印鑑
出入り口近くを発掘していたグループは
この出入口を完全封鎖するため、
大量の土嚢を積んでくださいました↓
壕から少し離れた場所の洞窟で今日も作業
午後の小休憩時に沖縄支部長から「ぜんざい」の差し入れ。
11月とはいえこの日の沖縄は暑かったためパワーチャージに。この時点で見つかった遺骨や遺留品は、掘り出した土砂量と比較してほぼないに等しくこのまま作業が終わると皆さん思っていたかもしれません。 この小休憩の直後、大腿骨等が見つかりました。
最後の最後に遺骨が見つかり本当に「見つかるものですね」「良かった」という声が聞かれました。
本日は作業撤収日でしたが、大腿骨を含む脚の骨が露出しているため掘り出すことに。作業は午前中のみ。ゆっくりしていられないため、朝礼は省略し、来た人から壕に入りました。まず、見えている遺骨を掘り出した後、遺骨が乗っていた水色の肥料袋をめくるとー
背骨がそのままの状態できれいに並んでいました。
それを見た現場監督が「(背骨がきれいに並んでいるということは)遺体のままここで遺骨になったということ。遺骨になってからこの壕に放り込まれた可能性はない。」と断言。背骨の真上には戦後の肥料袋、その上に大腿骨があり、脚をくるむようにあった布は、下地がメッシュ生地の服のようです。そしてすぐそばには、別の水色の肥料袋が見えています。遺骨はこれまで見てきた戦没者の遺骨と同じようにも見えましたが、戦没者の遺骨だと断定できない状況です。とはいえ、一方で遺骨のすぐそばから、未発射の小銃の弾頭も見つかっていました。
そこで、爆発物処理立ち合いのために訪れていた警官に通報。その後、糸満警察署の刑事課と鑑識が現場に到着し、壕内で遺骨の写真を撮影。更に遺骨がないか確認したいという警察の要望で、作業に慣れている私たちが発掘し、遺骨や証拠となるような遺留品を収容。その中には小銭もありました。そして、背骨のすぐそばにあった丸みを帯びた水色の肥料袋をめくるとー
頭蓋骨。
糸満警察署が沖縄県警本部に応援を要請し、全部で6人の刑事らが現場を確認。遺骨を収容した警察が、私たちの本部テントで遺骨を確認している間に、遺骨のそばで見つかった小銭をスタッフが磨くと、1970年の1セントでした。これが決定的となったのか、戦後(1970年以降?)の遺骨である可能性が更に高まり、沖縄県警察本部が、全ての遺骨やその周辺の遺留品を持ち帰り、警察が鑑定することになりました。
当初の予定では、昼前に道具掃除を終えテントも畳み終わっている予定でしたが、資材を預けている協力者が到着した昼過ぎまで発掘が続き、急いでテントを撤収、あわただしく今回の調査を終えました。
いつもは現場撤収後に、戦没者遺骨収集情報センターに遺骨を預けに行きますが、今回は警察に1体分の遺骨をお渡しし、それ以外の遺骨を戦没者遺骨収集情報センターに預けました。昨日とは全く異なる急展開に、作業を終えた余韻にひたることもないまま、あわただしく壕を後にしました。
報告が最後になりましたが、今回でこの壕をほぼ完掘できました。遺骨が見つかった通路が少し残っていますが、ここは沖縄在住の協力者に引き継ぎました。
遺骨収容に携わってから初めての経験をし、あっという間に1日が過ぎていきました。ようやく落ち着き、今改めて思うことは、最後に遺骨が見つかったのは、8月の調査を含めて大勢の参加者が土砂を掘り、運び、確認したからです。前回と今回合わせて14日間の作業の積み重ねが、1体の遺骨にたどりつきました。遺骨が見つかったことも成果ですが、一方で「この壕にこれ以上遺骨がないこと」、それを参加者全員で確認できたことも大きな成果です。
参加頂いたのべ500人以上のボランティアに感謝申し上げます。私たちの作業は、正直、楽ではありません。しんどいと思います。ほぼ初顔合わせで、経験値がバラバラな参加者を、朝一に班編成し、各班を率いて下さるリーダーたちには毎回色々と無理難題をお願いしています。それを受けて下さり、お願いした以上の成果を出して下さるリーダーの皆さん。また、遺骨収容のイメージとはかけ離れた、土木作業や下働きのような作業に丸一日従事くださる方々、その他全ての参加者に御礼申し上げます。皆さんと一緒にまた作業にさせていただきたいというのが、今一番に思うことです。よろしければ、またご参加下さい。そして、直接活動に参加されなくても、応援して下さる皆様方を含めて、改めて感謝申し上げます。
「掘ってみなければ分からない」
参加者に繰り返し伝えてきた言葉が、改めて自分に突き刺さった今回の調査でした。
時間がないため、到着した人から作業を開始
脚の骨の下にあった農薬の袋をめくると、
きれいに並んだ背骨が。
戦没者ではない可能性が高くなり、警察に通報。
糸満警察が現場確認
応援要請を受けた沖縄県警本部も到着。
遺骨をくるんでいた布の確認。
遺骨のすぐ近くから見つかった1970年製の1セント
沖縄県警本部が遺骨を持ち帰りました。
戦没者か否か、鑑定結果を待ちます。
ぎりぎりまで作業していたため大急ぎでテントの撤収
最終日は道具洗いと伝えていたので参加者は少ないですが
“イレギュラー”の事態も常連参加者の皆様によってのりきれました
今回でほぼ完掘
次回は来年2月の予定です。場所は現在検討中です。

印鑑「賀マカト」

仏様?

銀製とみられるジーファー(かんざし)

発掘途中の頭蓋骨

遺骨も次々と見つかっています

本調査の洞窟とは別班を組み調査しました

沖縄在住のアメリカ兵らも一緒に作業

朝礼(明日はこれ以上の人が来てくださる予定です)

壕に入るために渋滞中

大量の土砂が積もっている通路
土砂の掘りだし

バケツリレーで運搬

人数がおおいため、バケツリレーの列は20m以上!

バケツリレーの脇では、深さ1m以上の穴にもぐって発掘

別の場所でも発掘、この場所は終わる目途がつきました

メイン通路でも小グループで作業
土砂がそれほど積もっていないため順調に作業が進むかと思っていましたが
床が水平ではなく、また遺留品が見つかるので時間がかかっています

昨日の投稿で、この岩は動かないと書きましたが
挑もうとされる方々か!?


ボランティア
(自衛隊員と沖縄在住のアメリカ兵や退役軍人ら)

今日も、掘出し、運搬、確認と手分けをして作業開始

一方、少し離れた壕で県の担当者が視察&新聞社4社が取材

土砂を置く場所を確保するために
壕底(=壕が造られた当時の床)まで掘って確認

今回最高齢の82歳の参加者
スタッフと一緒の作業をこなしていただき
オーバーワークだったかもしれません…

壕内から出てきた大小さまざまな石や岩を並べ
その中に確認した土砂を入れます
このように新しく作られた石垣が壕内に随所にあります

昨日と今日作業したおかげで
明日以降に作業する通路の前が立って歩けるようになりました

少しの時間だけでもと、常連参加者が最後の1時間参加くださいました
(明日以降作業する通路の前にある岩
動かないと思いますが、明日以降どうなるかは分かりません)

調査前に大石宗高知支部長から
新垣元沖縄支部長に、支部長委嘱状の授与

今回も手分けをして作業
まずは土砂を掘り出し

運搬

遺骨や遺留品の確認

理研光學工業株式会社(現リコー)の計算尺「Relay」
戦中のものの可能性も

三角定規の数字が手掘り こちらも戦中のものの可能性も

少数でしたが作業がすすみ、最後は土砂が置けなくなるくらい
この廃土置き場がいっぱいに

今回も沖縄駐留のアメリカ兵も参加されています

全員出身地がばらばら

2025年11月6日
東京ドキュメンタリー映画祭2025で空援隊の映像上映
空援隊スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査ー』が東京ドキュメンタリー映画祭2025にて上映されることになりました。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて作品が上映されます。多くの皆様のご来場をお待ちしています。約2週間の期間中、多彩な作品が上映されます。
(上映日時)
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」(4作品上映されます)
・12月7日(日)14時25分
・12月15日(月)10時
(場所)新宿ケイズシネマ(東京都新宿区新宿3丁目35-13 3F)
JR新宿駅 東南口 徒歩3分/東口 徒歩5分
(公式HP)東京ドキュメンタリー映画祭
2025年11月6日
あんき映画祭2025で奨励賞を受賞しました
10月25日と26日に開催されたあんき映画祭映画祭2025で、空援隊スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 旧海軍司令部壕』が奨励賞を受賞しました。
主催者から「多くの方、特に小学校や中学校で是非見てもらいたい」ということばを頂戴しました。
戦後80年以上が経ち、戦争じたいを知らない世代も出てきています。私たちの活動に参加頂くことで、肌身を通して戦争について触れる一助となればと考えています。映像はそのための広報ツールの一つ。より多くの人に見て頂きたいと改めて感じました。
2025年9月20日
沖縄 戦没者遺骨収容のご案内(2025年11月)
11月に沖縄において遺骨調査を実施します。8月に調査した糸満市にある全長160mの壕の調査の続きをします。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。
航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
<沖縄 遺骨調査(2025年11月)>
【期間】2025年11月6日(木)-10日(月)
※最短参加日数は1日(終日)以上
期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
※10日(月)は予備日のため、調査が既に終わっている
可能性があります。この日のみの参加はご遠慮ください。
【場所】糸満市 ※詳細は参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方 ※まずご入会ください。
【参加条件】
○戦没者への哀悼の意を体現するため、
滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】
(空援隊に手配を依頼される方)10月15日(木)
(ご自身で手配される方) 10月25日(土)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
終日、1日以上、参加可能なこと、他。
※その他については、お問い合わせ下さい。
【締め切り】2025年10月25日(土)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
メールでお問い合わせいただいた場合、必ず電話番号をご記載下さい。
空援隊からの返信メールが届かない場合があるためです。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでお問い合わせ頂いた場合、通常3日以内に返信しています。
もし3日経っても連絡がない場合は、電話でお問合わせ下さい。
また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合が
ありますのでご確認下さい。
2025年9月15日
YouTubeに映像を掲載しました
2025年7月にサイパンで執り行われた戦没者慰霊祭。神道、仏教、キリスト教の宗教家が、国籍関係なく、全ての戦没者を共に追悼し、世界の平和を祈りました。
そして、戦没者の遺骨調査では、昨年見つけた遺骨がなくなっていましたー。
戦没者と向き合い続ける空援隊の2025年サイパンレポートです。
(2025年9月掲載)
『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』
※よろしければ再生後、画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

早朝、駐車場からの空
近隣の駐車場を9日間無償でお借りしました。
住民の皆様どうもありがとうございます。

昨日、外につながった通路の土砂を手分けして発掘(奥が出入口)
様々な遺留品が見つかりました。

土砂運びをする沖縄駐留アメリカ海兵隊員

今回最年少参加者の小学校4年生は遺留品を見つけていました

琉球大生、名桜大生、自衛隊員、海兵隊員のチーム

土砂が1m以上積もり、這ってしか通れなかった場所
最後は立って歩けるようになりました

爆発物は陸自の爆発物処理班が収容

昼食時、自衛隊員と海兵隊員

昨日開けた出入口は次回まで閉じることに

出入口を閉じるための土嚢を運ぶ
参加者から「やっぱり土嚢運びは空援隊恒例ですね」との声が。

外からも土嚢を積む

最終日は道具洗いも

テントも畳みます。大勢なので作業が早い!

泥だらけだったヘルメットもきれいに

最後に壕の前で、神職でもある倉田専務理事が祝詞をあげました



土砂が積もり、天井に頭がつきそうになりがらの作業

土砂量が多く狭い場所

土砂はそれほど積もっていませんが
様々な種類の遺留品が出てきました


丸2日間、この通路を掘りました

土砂が固く非常に掘りにくい

確認した土砂(=廃土)運びに丸1日従事くださった方も

常連の参加者が掘り続け壕底が確認できました

最少人数でした

土砂を掘っては、次々と運ぶ
土砂に多くの石が混じり、土も固く、非常に掘りにくい

遺留品を洗う

1942年製のアメリカのコインが見つかっています

後列右から2番目が常連の大学生。毎回、泥だらけです。

突然の80人以上の海兵隊員の参加!

奥は天井近くまで土砂と石が堆積しています

ひとつ前の写真の場所から石の運び出し

海兵隊員がたくさん!

バケツリレーで運んでいきます

午後、沖縄県庁の援護課の職員さんも作業に参加されました

「山3475」の認識票が見つかりました。
これは第24師団歩兵第32連隊の通称号です。
この壕の地域には歩兵第32連隊の第3大隊が布陣していました。
歩兵第32連隊の徴募区は北海道。
認識票の見つかったすぐそばで、3日前に名前入の筆箱が見つかっています。
その名前を平和祈念公園で調べると北海道出身の2人が見つかりました。
持ち主を探していきます。

土砂を掘り出す部隊

初参加の大学生もしっかり掘っていました

掘り出した土砂を確認するチームと、それを捨てる人
手分けして作業します

ヘルメットをかぶられているのでわかりにくいですが
西岡義高衆院議員(手前)も、他の参加者と一緒に土砂を掘り出したり
運んだり、確認したり・・・と全ての作業に従事されました

西岡義高衆院議員
ハードな作業が続き、背中を伸ばされていた瞬間
一日中黙々と作業され、国会議員だと分からなかった参加者もいるくらい
チームの一員として活動頂きました


高校生、大学生、元アメリカ兵、スイス在住の医者、県内在住者
県外参加者、沖縄県議会議員、那覇市議会議員、等々が一緒に作業

土砂量が多く、長身の参加者は天井に頭がぶつかるため
腰をかがめての作業が続きました。左は瑞慶覧長風 沖縄県議

「U.S. Marine Corps」(アメリカ海兵隊)と書かれた
歯ブラシが出てきたため周辺の土砂を要チェック

「U.S. Marine Corps」(アメリカ海兵隊)と書かれた歯ブラシ

「戦没者のご遺骨等の収集の加速化を図る国会議員連盟」の
三木圭恵議員もふるい作業

奥下剛光議員は発掘作業
日本陸軍の皿を見つけられました。

手榴弾等、爆発物も見つかっています

厨子甕という、骨壺のふた

「都築忠夫」と彫られた筆箱 ご遺族を探しています

遺留品が多すぎて、洗う作業も写真も間に合っていません…

瑞慶覧長風 沖縄県議と 瑞慶覧りか 那覇市議


参加者が多く、入口に入るのに渋滞中

壕から出るときも渋滞

入口の大きな岩を1日中削って下さいました
(岩はもっと大きかったです)

壕内から出た石を積み上げて下さいました

大学生とアメリカ兵

大量の土砂が積もっていた場所を掘り出し
埋もれていた銃眼がきれいに出てきました

もう一つの銃眼① 土砂を外からと中からかきだしました

もう一つの銃眼② 中から土砂をかきだしています

もう一つの銃眼③ 終わる直前に穴が開きました。

戦没者のご遺骨等の収集の加速化を図る国会議員連盟が視察されました
明日以降、作業にも参加下さる予定です


朝の説明。人数多くて写真におさまりません。

この場所はそれほど土砂が積もっていません。
写真奥の壕の形を見ると構築壕だと分かります

ここは土砂が多くて狭い!

空援隊恒例のバケツリレー。土砂や石が多い場所です。


近所の店から大きなスイカを2つ頂きました
参加者だけでなく、様々な方のご理解のもと作業させて頂いています

(なぜか)一列に並んでスイカを頂きました
甘くてよく冷えたスイカは汗をいっぱいかいた後の何よりのごちそうでした

沖縄支部長が車を誘導
駐車場も近所のご厚意でお借りしています

慰霊祭に参列頂いたサイパン市長を表敬訪問
サイパンで空援隊が抱えている遺骨収容に関する問題も共有しました。

北マリアナ諸島知事を表敬訪問

日本統治時代に造られた彩帆八幡神社(サイパンはちまんじんじゃ)
社殿は戦禍を逃れ
1981年にご縁のあった神主さんによってお社が再建された。
しかしその10年後に神主さんが撤退されてからは放置されて
鳥居も倒れたままの状態で、今を迎えています。
アメリカの文化財として登録されていて
誰もが迂闊に手を出せない状況になっているのが心苦しい状態でした。
神社の土地所有者と私たちをつないでくれた協力者と一緒に撮影
多くの協力者のおかげでサイパンでの私たちの活動も成り立っています。

彩帆香取神社
滞在中青空が見えたのは最終日のひと時でした。

第1回から欠かさず追悼下さっている村山博雅先生
(世界仏教徒青年連盟 会長
洞雲寺 住職)

マウント・カーメル教会
ロメオ・コンボカー司教(Romeo D. CONVOCAR)

英語で祝詞をあげられた三宅善信先生
(国際宗教同志会 事務局長
金光教春日丘教会長)

焼香

6ヵ月の赤ちゃんも焼香

宗教家の先生方と
サイパン市長(Ramon "RB" Jose Blas Camacho(左から3番目))

今年は雨のためテントの下で集合写真
慰霊祭の時間、サイパンの別の場所では、激しい豪雨だったそう。
一方、慰霊祭会場の雨脚はそれほど強くなく「涙雨ですかね」という声も。
雨(=戦没者でしょうか)にも見守られながらの式典でした。

昨年頭蓋骨を見つけた洞窟に確認に行った

司教との打ち合わせ、右は村山博雅先生

明朝サイパン入りの三宅善信先生は日本からオンラインでご参加


サイパンに住んでいた日本人が
米軍に追われ身を投げたバンザイクリフ

日本軍の見張り壕

シールドケーブ、ここに日本兵が生き埋めにされた
2025年6月16日
通常総会、年度報告会 開催
京都において通常総会と年度報告会を開催しました。
昨年度実施した沖縄県での戦没者遺骨の発掘調査や、調査の許認可取得の交渉のため、何度も沖縄に足を運んだこと、今後の沖縄での調査の計画等々、いつもながらざっくばらんにお話ししました。
いつもは東京での開催ですが今回は8年ぶりに京都での開催(2017年以来)。参加者の顔触れは関西の方ばかり…と思いきや、京都、大阪、兵庫に加えて、広島、愛知、東京からもご参加頂きました。

朝から梅雨空で、時折強い雨が降るなかでしたが
皆さん足を運んでくださいました
2025年5月28日
サイパン慰霊祭ツアーのご案内(2025年7月)
サイパン戦の戦没者を追悼する、神道、仏教、キリスト教合同慰霊祭を、以下の日程で執り行います。
2016年より国際宗教同志会の後援で実施してきた本慰霊祭は、日本人戦没者だけでなく、サイパン戦で亡くなった全ての犠牲者を、宗教宗派問わず追悼してきました。慰霊祭の日は、サイパン戦で最後の総攻撃、いわゆるバンザイ突撃が行われた日です。
ご参加ご希望の方は、できるだけお早めにお問い合わせ下さい。
<サイパン慰霊祭ツアー>
【期間】2025年7月5日(土)-9日(水)
※利用する空港によって異なります
【予定】慰霊祭を7月7日(月)に執り行います。
それ以外は表敬訪問等を予定しています。
【費用】1人 15万円以上
【参加条件】
○会員になって頂くことが前提です。
○戦没者への哀悼の意を体現するため、
滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】2025年6月14日(土)
【問合せ】
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
2025年5月15日
沖縄 遺骨調査のご案内(2025年8月)
8月に沖縄において遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。
航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。夏休み期間にあたりますので航空券や宿泊代が高い時期です。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
<沖縄 遺骨調査(2025年8月)>
【期間】2025年8月23日(土)-31日(日)
※最短参加日数は1日(終日)以上
期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
【場所】糸満市 ※詳細は参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方 ※ご入会をお願いします。
【参加条件】
○戦没者への哀悼の意を体現するため、
滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】
(空援隊に手配を依頼される方)8月1日(金)
(ご自身で手配される方) 8月9日(土)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
1日以上、終日参加可能なこと、他。
※その他については、お問い合わせ下さい。
【締め切り】2025年8月9日(土)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでお問い合わせ頂いた場合、通常3日以内に返信しています。
もし3日経っても連絡がない場合は、電話でお問合わせ下さい。
また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられていないかもご確認下さい。
2025年5月15日
年度報告会のお知らせ(6月・京都)
年度報告会を開催します。ご参加ご希望の方は6月12日(木)までにご連絡下さい。
◎日時:2025年6月14日(土)午後1時
※午後1時からの社員総会に続き、年度報告会を開催します。
この時間にお集まりください。
◎場所:京都市 下京いきいき活動センター(京都市下京区上之町38)
※京都駅中央口(京都タワーのある出口)から徒歩約10分
※京都駅からの行き方の詳細はこちら
◎連絡先(メール)office@kuuentai.jp
(FAX)075-321-4607
(電 話)075-321-4661
2025年5月15日
YouTubeに映像を掲載しました
沖縄県で行われた、ボランティアによる組織的な遺骨収容。
参加者はのべ300人以上、大学生や、沖縄駐留のアメリカ兵ら、国籍や年齢様々な顔ぶれ。大量のごみが捨てられた洞窟、特攻艇壕、土砂や大きな岩がある壕等を調査。多くのボランティアが参加したことで、一気に作業が進み、多くの遺骨が見つかりました。空援隊が実施する調査のレポートです。
(2025年5月掲載)
『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』
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2025年4月2日
YouTubeに映像を掲載しました
国宝や世界文化遺産に登録されている奈良県吉野の金峯山寺が、戦後80年の今年2月、沖縄において戦没者慰霊祭を執り行いました。吉野から檜を運び、約50人の修験者が出仕し、戦没者を追悼した記録を2作品掲載しました。
ディレクターズカット版は、慰霊祭に協力した空援隊からみた慰霊祭をレポートしました。
(2025年2月)
『金峯山寺 沖縄戦終結八十年 平和祈念慰霊とも祈り採灯大護摩供』
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『金峯山寺 沖縄戦終結八十年 平和祈念慰霊とも祈り採灯大護摩供
ディレクターズカット版』
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この壕では深い場所から遺骨が見つかっています。
上からご覧になっているのは奥下剛光衆院議員
昨日までにこの壕から見つかったのは↓

水筒

お釜

土砂を壕の外に出して確認。奥下議員も。

子供の指の骨も同じ場所から見つかりました

元アメリカ海兵隊員(左)に教わりながら土砂を掻き出す奥下議員

頭蓋骨が見つかりました

頭蓋骨の中から見つかった入れ歯

櫛も見つかり遺骨は民間人の可能性も

別の壕は当初古墓のようにも見えましたが
特殊艇壕(通称㋹壕)の造りかけのようにも見えるほど似通っていました。

常連の参加者でこの壕を掘り切り完掘

今回の調査で見つかった方々と一緒に集合写真
2025年2月26日
3月 東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA 上映のお知らせ
空援隊スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 旧海軍司令部壕』が3月に開催される東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2025年3月8-14日)の短編部門のプログラム「“先の戦争”の現在地」にて上映されることになりました。東京ドキュメンタリー映画祭の大阪での開催は2年ぶりで、今回の映画祭は、2023年と2024年の東京ドキュメンタリー映画祭の上映作品を中心に、話題を呼んだベストセレクションとのことです。上記の作品は、昨年の東京ドキュメンタリー映画祭(2024年12月)に続き選んで頂きました。沖縄県旧海軍司令部壕において、空援隊が1年以上実施してきた遺骨収容の活動をまとめた作品です(YouTubeにも掲載中)。
開催場所は十三の「シアターセブン」です。是非スクリーンでご覧になりませんか。当日はスタッフも劇場に行く予定です。多くの方のご来場をお待ちしております。尚、大阪での集客が簡単ではないそうですので、SNSでの拡散やお知り合いにお声がけ頂けましたら幸いです。
(上映日時)
短編部門プログラム「“先の戦争”の現在地」(上映時間約90分)
2025年3月10日(月)11時分~
(場所)
「シアターセブン」 ※ビルの5階です。6階は「第七藝術劇場」
阪急「十三」駅 徒歩約5分
大阪市淀川区十三本町1丁目7-27サンポードシティ5階
(公式HP)東京ドキュメンタリー映画祭
(公式X)こちら
(公式Facebook)こちら

調査4日目にしてようやく朝に太陽が見られました。
昨日参加者に吹き付けた強い風もやみました。

1つの壕から見つかった数体分の遺骨(の一部)。乳児の歯もあります。

上記の壕から見つかった遺骨

もう1つの壕では、沖縄在住の退役アメリカ海兵隊員が
中心になって丁寧に骨を掘り出しています

上記の壕から土砂を外に出し骨を探します

もろい骨もありふるいを使うと骨が壊れる可能性があるため
土砂を広げて目を凝らします。薄くて小さな骨片も拾い上げていました。

上記の壕から見つかった遺骨の一部。まだまだ見つかっています。

上記の壕から日本軍と思われるベルトのバックルが見つかりました

腕の骨

遺骨や出土品が大量で、泥落とし等の仕事も
手伝ってもらっています

お昼過ぎに大東文化大学や名城大学の学生ら13人が帰り
最後は一気に人数が減りました。学生から「最終日までいたかった」との声も。

朝、説明中。風が強くて1日中寒い!ダウンジャンパー姿の人も

屈強な自衛隊の方でも全く動かない大きな岩でしたが
諦めることなく30分以上かけて動かして下さイマシタ。
見守っていた参加者からは拍手と感嘆の声が。

岩を動かし終えた自衛隊の皆さん

午前中で終了した壕の「ふるい隊」の皆さんが
午後は遺骨や遺留品の土砂落とし

見つかった手の指をつなぎました

歯科衛生士だった参加者が上と下の歯を分けて下さいました。
色々な専門家が参加中です。


開始時間前に参加者約40人全員集合!
気持ちが一丸となります

この特殊艇壕はぬかるんだ土砂が堆積し、足元がとられ作業が難航

泥まみれになってこの特殊艇壕を1日中掘り下げた結果
レールの枕木を発見 約85㎝の長さ

レールの溝もきれいに残っていました

別の場所では岩と岩の間に遺骨が流れ込んでいたため
腹ばいになって土砂を掻き出します
(ちなみに2日後に受験を控えた高校生(↑)が大活躍)

掻き出した土砂をふるいます。
常連さんが初参加者に探し方を説明

また別の壕では、遺骨や遺留品が全く出ない時間が長く続くなか
大量の土砂を掘り出し続けてくだり
米軍の発煙手榴弾(スモークグレネード)が見つかりました。

70代(沖縄在住のご遺族)と80代の参加者(東京から参加)

見つかった遺骨(一部)
まだまだありますがとにかく多くて撮影がおいつかず…

銀歯


会員のお母さまから「ホットぜんざい」の差し入れ


特殊艇壕

初参加の自衛隊有志の方々。パワフルで作業がはかどりました。

確認した土砂(=廃土)を置くため
まず、片側(=写真では並べた石の右側)を壕底(=壕構築時の床)まで掘り
そこに何もないことを確認。
そして次に、確認した土砂をその場所に置き、掘り上げたのが↓


完掘後
毎回参加下さる沖縄在住退役アメリカ兵と自衛隊有志、
そして初参加の高校生。彼らと一緒に作業をした高校生は
「皆さん作業が早くて…、土砂を1日中かいたら手がしびれました」とも。

収容した遺留品や遺骨の土を落とす

見つかった遺留品や遺骨(一部です)

頭骨や大腿骨も見つかっています(古墓の骨の可能性もあります)

新たに見つかった壕の遺骨
30分ほど掘っただけでこれだけの量が。明日も収容します。


午前中はずっと雨

慰霊祭の前に公益財団法人平和祈念財団 松川満事務局長による講話
参集された修験者の皆さんに
沖縄戦について知ってから慰霊祭に臨んでほしいと
五條管長が松川事務局長に講話を依頼されました

採火式に臨む修験者の列

五條良知管長





福山哲郎参議院議員(京都選出)も参列

会員や遺骨収容参加者が片付けを手伝い

空援隊と言えば「土のう運び」(?)です。
そして慰霊祭でも土のう…

地面を洗い流す水を運ぶ。重い!

今日は調査ではありませんでしたがやはり空援隊と言えば「土のう」でした

午前中は、遺骨収容の準備。テント設営や資材を運びました。
会員だけでなく、毎回協力者も駆けつけて下さいます。

午後は慰霊祭の準備
この檜葉や檜の木は、奈良県吉野の山から船で運ばれてきました

本日手伝ってくださったのは18歳の会員2人