■NEWS
沖縄 戦没者遺骨収容のご案内・2026年8月
2026年7月1日
2026年8月に、沖縄において戦没者遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。夏休みのため、費用が日に日に上がっていきますのでご注意ください。費用は日にちにより大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
| 沖縄 戦没者遺骨収容・2026年8月 |
| 期 間 |
2026年8月21日(金)〜31日(月) ※最短参加日数は1日(終日)以上。期間中のご都合の良い日にご参加ください。 |
| 場 所 |
西原町 ※詳細は参加者にお知らせします。 |
| 参加方法 |
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。 |
| 電 話 |
075-321-4661 |
| e-mail |
office@kuuentai.jp |
※メールでのお問い合わせの際には、必ず電話番号もご記載下さい。空援隊からのメールが届かない場合があるためです。
※お問い合わせいただいてから通常3日以内に返信しています。もし3日経っても連絡がない場合は、お手数ですが電話でお問合わせ下さい。また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合もありますのでご確認下さい。
※①沖縄県外の方と②沖縄県在住者とで参加条件等が異なります。
① 沖縄県外から参加の方
| 参加条件 |
1. ご入会ください。
2. 戦没者への哀悼の意を体現するため、滞在期間中次の2つのルールを守れる方
|
| 締め切り |
2026年7月24日(金) |
② 沖縄県在住の方
| 参加条件 |
1日(終日)以上参加可能なこと、他 ※その他についてはお問い合わせ下さい。 |
| 締め切り |
2026年8月10日(月) |
通常総会、年度報告会開催
2026年7月1日
6月27日に京都において、通常総会と年度報告会を開催しました。台風7号の影響もあってか参加者は少なめでしたが、全員が現場調査参加者ということで、いつも以上にざっくばらんにお話をしました。約20年前のフィリピン活動時代から、厚労省の遺骨収容事業に後ろ向きな姿勢が、今も全く変わらないこと等を、初代理事長の杉若恵亮理事と共にお話ししました。遺骨収容を取り巻く環境は厳しく、自前で活動しているボランティア団体はさらに厳しい状況ですが、やるべきことをやっていく姿勢は、設立当初から変わらないことを改めて感じました。
特別映像もご覧いただきました
台風の影響が心配されましたが関西や名古屋からお越しいただきました
YouTubeに映像を掲載しました
2026年5月27日
沖縄県で行われた戦没者の遺骨収容。文化財課も知らなかった全長160mの日本陸軍の壕を、のべ約600人のボランティアが調査しました。参加者の中には沖縄駐留アメリカ兵も。年齢、国籍様々な人が一緒に作業し、多くの遺留品を発見。名前の入った筆箱は81年ぶりに北海道の遺族のもとに帰りました。一方、遺骨はそれほど多く見つかりませんでした。見つからなかったことは、決して悪いことではありません。「空援隊」が実施する組織的な戦没者遺骨収容のレポートです。
『“見つからなくてよかった”「私たちの」戦没者遺骨収容 沖縄2025-26』
空援隊YouTubeチャンネル
(2026年5月掲載)
※よろしければ画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
YouTubeに映像を掲載しました
2026年4月28日
空援隊が沖縄県西原町で実施した戦没者遺骨収容で、次々と遺骨が見つかりました。遺骨をどのように探し、発見にいたったのか、調査レポートです。
『2026年4月沖縄 戦没者遺骨収容レポート
―西原町で多くの遺骨見つかる―』
空援隊YouTubeチャンネル
(2026年4月掲載)
※よろしければ画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
東京ドキュメンタリー映画祭in OSAKAで上映されました
2026年4月28日
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2026年4月18-24日 シアターセブン)において、スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』が、4月23日に上映されました。上映は平日の昼間、しかもその日は雨と風の荒天でしたが、会員さんを含めて多くの方にご覧いただきました。
上映後の舞台挨拶では観客から質問を頂戴しました。活動をしっかりご理解いただいた質問で、いっぱい話したくなる思いをおさえながらお答えしました(うまく答えられず…)。劇場に足を運んでいただいた皆様、そして主催者の皆様に感謝申し上げます。
スタッフが舞台挨拶をしました。
4月沖縄 遺骨収容(西原町第1回) 最終日
2026年4月6日
本日は最終日。多く見つかった遺骨の整理や資材の片付け、本部撤収がメイン作業です。空援隊の遺骨収容は、掘るだけではありません。戦没者を少しでも多く早く収容するには、現場で安全に皆さんに活動いただくことが大前提となります。そのために本部を置き、滞りなく作業できるように、支援体制を作っています。また、遺骨や遺留品を管理するのも本部の仕事。本部があるから、現場作業に集中できます。今回は特に遺骨が多く見つかったので、遺骨の整理が全く追い付きませんでした。最終日は、現場を閉じて、あとは本部作業を手伝いました。
遺骨収容と聞くと、発掘のイメージがありますが、それができるのも、私たちの活動においては、本部を含めて、発掘作業を支える様々な作業があるからです。連日土砂運びだけ、また、確認した土を置く場所を作る等々…掘る作業に全く関わらないこともざらです。初日の資材運びだけでなく、最終日の本日は、終了・片付けの作業も含めて、参加者の皆さんにかかわっていただきました。今後も、発掘だけではなく、様々な作業が必要な非常に広い現場です。発掘だけではない作業もありますが、それでもよろしければ、次回またご参加ください。
≪西原町第1回調査 結果≫
・ボランティア参加者数:のべ約120人(4日間)
・収容遺骨:遺骨収集情報センターにいったん預けます
※厚労省の遺骨の数え方がわかりませんので、収容数ははっきり分かりませんが、現在推定数を確認中。
・自衛隊が収容した爆発物
・旧軍製50㎜重擲弾 10発
・旧軍製手榴弾 32発
・米軍製手榴弾 1発
・発煙筒 4発
・小火器弾 88発
朝から沖縄テレビ(OTV)さんと沖縄タイムスさんが取材に来られました。沖縄テレビ(OTV)さんはこの日、そして沖縄タイムスさんは翌日の朝刊トップ紙面に報道しました。
朝の訪問者がもう一組。
自衛隊の爆発物処理班が手榴弾等を収容しました
発掘はほとんどせず、土嚢を作り現場を閉じる準備。
ブルーシートを溝にかぶせ現場を閉じます。
遺骨の泥落とし
常連参加者からは「これまでの現場で見たことがないくらい多くの遺骨」との声
午後の飛行機で帰る東京からの参加者(高校生)。帰る直前まで作業くださった。
見つかった遺骨の一部
遺骨に比べて遺留品は非常に少ない。今後掘ってみないと調査地がどんな場所だったのか、どんな戦闘が行われたのかは分かりません。これから遺留品がもっと出れば、何かわかることがあるかもしれないし、そうでないのかもしれない。私たちも試行錯誤で調査しています。
近くの公民館区長さんらが、お供え物を持って訪問くださった。じっと手を合わせられていました。周辺の区長さんらの協力と理解もあって活動が円滑に進んでいます。
常連参加者からのお供え物
4日間でのべ120人のボランティアに参加頂きました
4日間(実質業日数は2日間半)でこれだけの遺骨を収容。ご遺骨は遺骨収集情報センターに預けます。
4月沖縄 遺骨収容 3日目
2026年4月5日
本日も多くの遺骨を収容しました。1日の収容数としては、空援隊が沖縄で発掘調査を始めて以来、一番多かったです。私たちが10年以上前に発掘したサイパンでの集団埋葬地を思い出しました。作業している皆さんの後ろを通るたびに「遺骨が見つかりました、大きいです」という声が。本日のボランティアは50人。高校生、大学生、有志の自衛隊員、県外からの会員、沖縄駐留のアメリカ兵等々が今日も一緒に活動しました。
掘っている場所は交通壕(連絡壕)ではないかと、今のところ推測しています。その場所は斜面の下。斜面に沿って50人近くが1列に並んで掘ると、どこの場所でも遺骨が見つかり、溝になりました。戦後、その溝にさとうきび畑から見つかった遺骨を置いた(放り込んだ)のかもしれません。また、遺骨を収容すると更にその下から次々と遺骨が見つかる場所も。もしかしたら、下の遺骨は、戦闘後、溝に死体が放り込まれた、また、そこでそのまま亡くなられた可能性もあります。
明日で「今回の」調査は終了ですが、まだまだ全く終わりません。交通壕であれば、1m50㎝は掘り下げる必要があります。横幅もまだ狭いので、広げる必要もあります。
空援隊の沖縄調査の初期から参加くださっている参加者が「これまでこんなにたくさん見つかることはなかったですね」と口にされていました。1日中掘り続けても何も見つからないことは、遺骨収容では当たり前です。それでも土砂を運び続け、何もないことを確認してきました。戦後81年経って、沖縄で、こんなに多くの遺骨が見つかるのか…というのが正直な感想です。
早朝は土砂降りの雨。作業の説明は、急遽、雨のしのげる場所に移動。
掘り進めると、交通壕だと思われる溝が見えてきました。
今回掘っている場所の中間地点。まだまだ、先に続きます↓
今の溝は約50mですが、これがずっと先に続くと思われます。何百メートルになるのか…。
溝に沿って歩いていると、どこからでも「遺骨が見えています」という声が。
ここでも遺骨が。写真はそのごく一部です。
大腿骨を掘り上げたところ。
このような光景がどこでも見られました
皆さんの後ろには収容した遺骨。この光景もどこでも見られました。
がつがつ土砂を掘る場面で、毎回シャベルを両手に活躍いただいている常連参加者(自衛隊員)。今回は座って終日こつこつ。
最初は溝の外から掘っていましたが、溝が深くなり、溝の中で作業
日本陸軍のヘルメット
↑ヘルメットの中には頭骨がそのまま残されていました。頭蓋骨丸々そのまま見つかったのは、2日間で7体分。
見つかった遺骨のうちの一部。多すぎて遺骨の整理や、撮影が全く追いついていません。
早朝は土砂降りでしたが、昼間にはすっかり晴れました。戦没者も81年ぶりに陽のもとに(これらの遺骨も見つかったうちのほんの一部)。
4月沖縄 遺骨収容 2日目
2026年4月4日
「掘ってみなければ分からない」というのは、「遺骨や遺留品が見つかりますか?」「遺骨が出ると分かっていて掘ったのですか? 」等と聞かれた際に、これまで何度もお答えしている言葉です。しかし、本日は誰に聞かれるわけではなく、そのセリフが何度も頭に浮かびました。というくらい、たくさんの遺骨が見つかりました。
今日は1日中雨の予報だったので、到着した人から早速作業開始。まずは昨日同様、地表の葉っぱをどけます。枯葉の下に遺骨がないかを探すためです。次にその場所に金属探知機をかけ、反応した場所を掘ります。金属探知機が反応した場所のひとつに、事前調査で地表に大腿骨が見つかった場所がありました。掘ってみると遺骨や遺留品が次々と。更にその場所を左右に広げてると遺骨や遺留品が。当初は2人で掘っていましたが、場所を広げるたびに「掘り部隊」を増やし、最終的には40m程に広がった場所を、参加者全員の約30人が一列になって掘りました。どの場所でも約15㎝くらい掘ると、遺骨や手榴弾、発煙筒等、爆発物が見つかります。
地元の人によれば、戦後サトウキビ畑だったとも聞くので、見つかった遺骨や爆発物を脇に置いた(放った)のかもしれません。見つかっている場所は、斜面の下です。皆さんが掘っている場所を通るたびに「これは遺骨ですか?」と聞かれ「まさに。」という会話を何回も繰り返しました。正直、調査開始前には、遺留品や爆発物は見つかっても、遺骨はほとんど見つからないかもしれないと思っていました。しかし、まさに
「掘ってみなければ分かりません」
多数の大腿骨等、足の骨、そして頭蓋骨も丸々1体見つかっています。
昼過ぎに雷が鳴り、雨も強く降ってきたので、今日は作業を中断しました。まだ遺骨が見えている箇所がいくつもあります。明日もこの続きをします。
ちなみに…、天気予報では今日は朝から雨、次第に強雨ということでした。しかし、昼過ぎまで雨とは無縁。途中、太陽も顔を出しました。大勢のボランティが集まったのを知り、81年間埋まったままの戦没者が、土から出してほしいと願ったのかもしれないと思うような天候でした。空援隊の現場では、不思議と調査に大きな影響を及ぼすような天候にはなりません。
今日も葉っぱを掃除し、金属探知機をかけます
葉っぱを集めて、運んで捨てる、の繰り返し
地表で大腿骨が見つかった場所で、金属探知機が反応。掘ると遺骨が見つかりました。最初は2人で作業していましたが遺骨や遺留品が次々と見つかるので範囲を広げることに↓
掘り部隊を増やしたところ、そこからも遺骨や遺留品が。そこで、発掘場所を左右に延長↓
参加者全員一列に並んで調査
各場所で遺骨が次々と見つかります。
遺骨の写真を撮る暇がない!
昨日と今日半日で、手榴弾、発煙筒、迫撃砲弾、等々爆発物が約30発
今日は1日中雨の予報でしたが、昼食時には日差しも。
雷鳴が聞こえ雨脚が強くなってきたので、午後は1時間ほどで作業終了。今日の最年少参加者は12歳、高校生や大学生、沖縄駐留のアメリカ兵も含めて今日も、国籍・年齢様々の人たちが一緒に作業しました。
4月沖縄 遺骨収容 初日
2026年4月3日
沖縄県西原町において戦没者遺骨収容を開始しました。西原町は住民の半数が戦争で犠牲になったとも言われる、沖縄戦初期の激戦地の一つです。調査場所は日米の陣地があり、激しい戦闘が繰り広げられました。地元の人の話では、地表にあった遺骨は収容されたものの、犠牲者が非常に多く、大きな遺骨だけが収容されていること。また、大々的な遺骨収容は行われておらず、取り残された遺骨があること、戦後サトウキビ畑だった時期があるので、見つかった遺骨は適当な場所に置かれた、子供の頃手榴弾で遊んだ…等の話を聞きました。皆さんが一様に口にするのは「遺骨収容は終わっていない」ということです。そこで、徹底調査することになりました。
空援隊は2022年から沖縄で発掘調査を始めましたが、屋外での調査は初めて。壕での調査とは全く勝手が違い、地表の枯葉をどけて遺骨の有無を確認したり、金属探知機で反応があった場所を掘ったりと試行しながらの調査です。このような調査では、遺骨は探しにくいと思っていたところ、脚と思われる遺骨が。その遺骨の中には、木の根っこが生えて地面に張りついていました。そのすぐ後に、別の場所でも大腿骨の一部が見つかり、そのすぐそばを掘ると浅い場所から、足の骨や手榴弾、発煙筒も。毎回思うことですが、「やってみないと(調査してみないと)分からない」ものです。
平日でしたが約20人が参加。中学生の頃、調査地のすぐそばを学校帰りに通っていたという西原町出身の大学院生、常連の大学生、県外からも多数の会員、沖縄駐留のアメリカ兵や軍関係者らも参加しています。明日からの土日は、人数が倍以上になります。天気予報は雨で、どんな調査になるか分かりませんが、今回も大勢の参加者と調査を行います。
みんなで道具運びから調査開始
葉っぱをはらって地表に遺骨がないかを確認する
「竹ぼうきがほしい」という声も聞かれるくらい、まさに枯葉掃除です
骨の中に根っこが生えている
大腿骨や手榴弾が一緒に見つかった。
地面に突き刺さるような状態で遺骨が見つかるのは珍しい。
下あご
大学生、大学院生、沖縄駐留のアメリカ兵のチームで遺骨が見つかった周辺を掘り出す
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKAで映像上映のお知らせ(4月)
2026年3月28日
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2026年4月18-24日)において、スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査ー』が上映されることになりました。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて作品が上映されます。このプログラムでは、スタッフの作品を含めて全部で4作品上映され、スタッフの作品は3作品目に上映されます。当日はスタッフも劇場に参ります(舞台挨拶の予定)。
多くの皆様のご来場をお待ちしています!是非、関西のお知り合いにもお声がけ下さい。
映画祭では、昨年の東京ドキュメンタリー映画祭2025の受賞作品や話題作品等、多彩な作品が上映されます。そちらもどうぞご鑑賞ください。
沖縄で見つかった遺留品 ご遺族のもとへ
2026年3月27日
昨年(2025年)8月に、沖縄県糸満市の陸軍構築壕から見つかった筆箱が、昨日(3月26日)、札幌のご遺族のもとに帰りました。
筆箱の持ち主は、都築忠夫さん。北海道栗山町出身で、記録では陸軍24師団歩兵32連隊所属の伍長、沖縄戦終結直前の1945年6月20日に戦死されました。
筆箱を受け取られたのは、忠夫さんの甥の都築利雄さん(87歳)。利雄さんの父親の弟が、忠夫さんです。利雄さんは忠夫さんの記憶はなく、自身の父親の秀雄さんも忠夫さんについて多くを語らなかったとのこと。利雄さんが戦死された年齢を含めて詳しいことが分からず、身近に感じることはなかったとのことでしたが、筆箱を受け取り、「(叔父が)亡くなった事実を実感し、悲しい」と話されました。また、戦後、都築家に送られてきた白木の箱を秀雄さんが開けると、入っていたのは沖縄の石ころ1つだけ。「遺骨が入っていると思っていたが・・・」という気持ちを思い出されていました。
仏壇には、父親の秀雄さんの写真の隣に、軍服を着た忠夫さんの写真が置いてありました。利雄さんは筆箱を仏壇に置き、じっと手を合わされました。戦後81年が経ち、戦没者を直接知らないご遺族のなかには、遺留品の受け取りを断る方もいらっしゃいますが、利雄さんは、遺留品を受け取るのは仏壇を守っている自分の当然の務めだと話されていました。
この壕は全3回調査し、のべ585人のボランティアが従事しました。多くの方が携わったことで、81年ぶりに遺留品が沖縄から北海道に帰りました。
北海道在住で、空援隊理事長の千葉英也(北海道議会議員)が筆箱をお渡しした
筆箱(右 蓋と思われる)と同じ場所から見つかった認識票(左)もお返しした
「都築忠夫」と彫られていた筆箱
認識票 「山三四七五」は、忠夫さんが所属してた歩兵第32連隊の呼称
仏壇に置かれていた忠夫さんの写真
忠夫さんの甥の都築利雄さん
利雄さんは「筆箱がここに帰ってこられてよかった」と話した
第三回山国映画祭で上映
2026年3月18日
大分県中津市で開催された第三回山国映画祭(3月13-15日)において、スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が上映されました。ゆったりとした時間が流れる山間の自然豊かな場所での映画祭。素敵な場所で作品を上映いただけたこと、作品をご覧いただいた皆様、そして主催者の皆様に感謝申し上げます。地元の方が今シーズン最後の寒さかもと話し、霰も時折降るなか、遠方から会員さんもご参加くださいました。嬉しいひと時でした。
日差しは春でしたが顔にあたる風が冷たい!
古民家カフェ「山国きのたんく」で上映
沖縄 旧海軍司令部壕 未公開箇所 戦没者遺骨収容(2022年-2024年)に参加されたご遺族の荒川恒光さんが奥さまと福岡県から駆けつけてくださいました。
2026年2月・沖縄で大学生らが遺骨収容に参加
2026年3月1日
2月22日~24日、沖縄県糸満市において戦没者遺骨収容を実施しました。参加者は大学生や大学院生、教員ら。空援隊と旧知の教授からの依頼で、学生の沖縄研修の一環として実施しました。大東文化大学、名城大学、青山学院大学、中京大学、ワルシャワ大学、京都大学、姫路女学院、専修大学、お茶の女子大学から総勢26人、地元サポートボランティアを含めて3日間でのべ77人が従事しました。
場所は昨年8月と11月に調査した壕。11月調査最終日に、戦後の遺骨が見つかり警察が駆け付け、掘り終わらなかった箇所がありました。今回はそこを調査、完掘しました。また、おととし8月から調査してきた壕から見つかっていた民間人と思われる7体分の頭蓋骨等を整理し、学生たちと共に、最終日に遺骨収集情報センターに提出しました。
今回の調査は、壕を閉じるために半日ひたすら土嚢を作り、遺骨がないことを確認するための発掘等、調査を終える作業がメインで、遺骨や遺留品を見つける機会はほとんどありませんでした。長年遺骨収容に携わっていれば、それも遺骨収容のひとつだと理解できますが、遺骨収容と聞いて想像する作業とはかけ離れた土木作業が続き、初参加者ばかりの学生らは面食らったかもしれません。「その作業全てが遺骨収容です」と言葉を重ねたところで、理解を得られない難しさを感じながら作業していました。最終日、今回終えるのは難しい可能性があるなか作業を開始しましたが、各自ができることを進んで見つけ、工夫を重ねて一致団結したことで、なんとか完掘できました。
作業の途中、「壕ってこんなに暑いんだ」「作業がしんどすぎる!」という言葉が聞こえてきました。スタッフにはその意味がとてもよくわかります。取り立てて特別な感想ではないと思う人も多いでしょうが、これらの言葉は、実際に現場で作業したからこそ出てきた言葉。文章にすると伝わりませんが、実感がこもっていました。事前に想像していた作業ではなかったかもしれませんが、机上では絶対に知りえないことを体験した機会となったようです。大変でしたが一つの調査を終えられました。皆さんお疲れさまでした。
2月沖縄調査 初日(2月22日)
2ヵ所に分かれて調査。一組は遺骨の整理。
もう一組は壕を閉める作業。
この日は人数が少ないため、いつもより丁寧に説明。
まずは道具の名称や置き方から。
土嚢の作り方も説明
土嚢で入口を塞ぐ。学生にもやってもらいました。
翌日の調査予定地から、岩や土砂を運び作業しやすいように整備。大きい岩がいくつもあり「重い!」「大変!」という声も上がりましたが、翌日の作業後には「初日のほうが完全に楽だった…」という感想に代わっていました。
沖縄県議の瑞慶覧長風議員が視察
皆さんこの日はまだまだ余裕でしたが…
2月沖縄調査 2日目(2月23日)
集合時間の20分ほど前には学生さんらが全員集合!スタッフより早く来たチームも。
開始直後は3チームに分かれましたが、今回で完掘させるため、全員壕に入る作戦に変更。まず先頭で土砂を掻き出し。
掻き出した土砂を30m先まで
約20人でバケツリレー
30m先は長い
まだまだ中盤
最終尾は天井が低く、ずっと中腰。
これがきつい!
背の低い人に代わりましたが
それでも中腰!
壕内でひたすら掘り続け、重い土砂を運び続け、かなり汗をかきました。ちなみに、発掘はローテーションしたものの、だんだん人員が減り、大変だったのが感じられました。
前日の作業終了後は笑顔だった参加者が、本日は疲れていました…
2月沖縄調査 最終日(2月24日)
午前中で完掘するために、急ピッチで作業を進めます。作業に慣れてきて動かす手も前日より速くなってきました。
指示しなくても、工夫しながら作業を進めていました
後日壕を塞ぐための土嚢を80個作成。
土嚢づくりチームのリーダーは学生が担当。
小さな隙間から次々と弾頭が…。
時間が迫るなか人手がとられました。
壕での作業と並行して
外ではテントを畳み、資材を洗いました。
なんとか完掘。
昨年8月に調査を始めた頃、赤い線の高さまで土砂が積もっていました(赤い線を境に色が変わっています)。昨年11月と今回でその土砂を全部運び出し、壕が造られた当時の状態が分かりました。スロープと階段状になって奥に続き、現在岩で閉じられている奥は、戦時中は出入り口だったと思われました。
我々がおととし(2024年)8月から調査した壕から見つかった遺骨。場所は今回の洞窟から徒歩20分程のところ。これらを提出するため全員で平和祈念公園に。
戦没者遺骨収集情報センターに提出。
所要時間約3分の簡単な引き渡し。

遺骨を探すだけでなく、壕を閉じ、資材を片付け、遺骨を提出して、ようやくひとつの調査を終えられます。これらの作業すべてが遺骨収容です。何をしているのかよくわからなかった人もいるかもしれませんが、学生の皆様、よろしければまた現場でお待ちしています。
沖縄NICE映画祭4で「NICE特別賞」受賞の報告
2026年2月21日
沖縄NICE映画祭4(2026年1月23-25日)において、スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、NICE特別賞を受賞しました。この賞は、上映(入賞)だけに留まらず、多くの映画ファンに向けて「今観るべき映画」として沖縄NICE映画祭が、その作品性を「傑作」として認める賞とのことです。映画祭では多くの皆様にご覧いただきました。どうもありがとうございます。
尚、この作品は、第3回山国映画祭でも上映されます。どうぞご鑑賞ください。
■舞台挨拶がYouTubeに掲載されています。
『『沖縄NICE映画祭4』 Eブロック舞台挨拶』
第3回山国映画祭で空援隊の映像上映のお知らせ(大分・3月)
2026年2月21日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、大分県中津市山国町で開催される第3回山国映画祭(3月13-15日)で上映されることになりました。スタッフの作品は「短編上映プログラム」で上映されます。詳細は以下をご覧ください。多くの皆様のご鑑賞をお待ちしています!
| 日時 |
「短編プログラムA」で上映されます
2026年3月13日(金)13時39分~ 2026年3月14日(土)17時59分~
※上映時間は目安です。お早めにお越しください。
|
| 場所 |
山国きのたんく
(大分県中津市山国町守実商店街のレトロな温泉宿をリフォームしてインディーズ映画が気軽に鑑賞可能なマイクロシアター&カフェ&バー) |
| 公式HP |
第3回山国映画祭 |
沖縄 戦没者遺骨収容のご案内・2026年4月
2026年2月14日
2026年4月に、沖縄において戦没者遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
<沖縄 戦没者遺骨収容・2026年4月>
【期間】2026年4月3日(金)-6日(月)
※最短参加日数は1日(終日)以上。期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
【場所】参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄県在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方
【参加条件】
○ご入会ください。
○戦没者への哀悼の意を体現するため、滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】2026年3月19日(木)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
1日(終日)以上参加可能なこと、他
※その他についてはお問い合わせ下さい。
【締め切り】2026年3月25日(水)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでのお問い合わせの際には、必ず電話番号もご記載下さい。空援隊からのメールが届かない場合があるためです。
お問い合わせいただいてから通常3日以内に返信しています。もし3日経っても連絡がない場合は、お手数ですが電話でお問合わせ下さい。また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合もありますのでご確認下さい。
沖縄調査2026年 1月 番外編②
2026年1月26日
昨日見つかった器は、有田焼の「深川製磁」が戦前に海軍省に納めた士官用の食器だったことが、同社への問合せで分かりました。明治の近代化を進めるにあたり、海外との折衝の際には晩餐会、食事が重要な要素となり、皇室と共に各国大使館、旧帝国海軍でも英国式洋食器と和食器が導入されました。それを同社が納めてきたとのことです。
たった1つの遺留品から、81年前の方々や、出来事に思いを馳せるきっかけとなりました。それが可能となったのも、1年間、協力者がこの壕を調査してきたからです。また、スタッフはただの器だと思い、出てきた直後の撮影をすることもなく、掘り続けていましたが…、珍しい器だと教えて下さったのも協力者です。皆さんのおかげで私たちの活動が成り立っています。改めて感謝申し上げます。
ちなみに、私たちは2022年10月から全5回、海軍司令部壕の未公開箇所を調査しましたが、その際に既に同社の器を見つけていました(気づいていませんでした)。旧海軍司令部壕で展示されている、未公開箇所調査の遺留品の中に同社の器が並んでいました。沖縄にお越しの際には、是非、実際にご覧ください。
旧海軍司令部壕で展示されている
海軍士官用食器『波に桜花模様』。
昨日見つかった器と同じ柄
↓裏には「富士に流水」の商標
沖縄調査2026年 1月②
2026年1月25日
協力者の自衛隊員ボランティアチームが、昨年1月から調査してきた旧海軍司令部壕(豊見城市)周辺にある壕の調査が終わりました。
本日は、自衛隊員が多く、また一般の参加者もパワフルなひとたちばかり。狭い壕内に1m以上堆積した土砂を、前方でガツガツ掘り、後方チームがそれを途切れなく運びます。良いチームワークで次々と土砂が掘り出され、計画していたよりも広範囲を確認することができ、最後に、壕を閉めました。
今回の2日間の調査では、既に調査がほぼ終わっていたため、ほとんど遺骨は見つかりませんでしたが、珍しい遺留品が見つかりました。その一つが日本「陸軍」の軍隊手帳。ここは「海軍」の壕ですが、戦禍が激しく、色々な人達がこの壕にいたことを思わせるものでした。1年間協力者が見つけた遺骨を、明日、「戦没者遺骨収集情報センター」に預けます。
ちなみに、この遺骨を厚労省が何体と数えるのかは私たちにはわかりません。というのは、厚労省から収容数の報告がないためです。おそらく、ボランティアへの報告義務はないからだと推察しますが、遺骨収容を「国の責務」としている活動を、国に代わって行っているボランティアに対する国の姿勢がそれです。
次回の大規模調査は3月の予定です。
集合時間までに全員がそろいました。
地元の高校生や沖縄駐留アメリカ軍関係者も参加しました。
前方で掘り出した土砂を、後方チームが運んでいきます
大きな岩を自衛隊の皆さん(別称:アベンジャーズ)が動かしてくださいました
通りがかった平和学習に訪れた福岡県のグループが現場を視察
日本陸軍の「軍隊手牒」
長年遺骨収容にかかわってきた方が「見たことない」と話していました


裏印から有田焼の宮内庁御用達の「深川製磁」社のものと思われます
戦前・戦中のものかは調査中です。
※「深川製磁」製だと分かりました(2026年1月26日)
この壕で見つかった遺留品(一部です)
壕を閉める前、1年間調査してきた協力者がお酒をお供えしました。
壕がまた一つ、完掘しました。
沖縄NICE映画祭4 スタッフ制作の作品上映
2026年1月24日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、本日、沖縄NICE映画祭4(2026年1月23-25日)で上映され、参加してきました。遺骨収容仲間が大勢足を運んで下さり、中には空援隊の活動に理解くださっている役人さんの姿も。
多くの遺骨が残され、国の事業が進んでいないのはサイパンでも同様。更にサイパンでは民間団体にとってより厳しい現状があり、それらを少しでも知って頂くために制作しました。多くの方にスクリーンでご覧頂け、大変光栄でした。
そして映画祭の後に、沖縄で初の新年会を開催しました。
明日は現場に戻ります。
桜坂劇場(那覇市)で沖縄NICE映画祭4が開催
上映後に舞台挨拶も
倉田宇山専務理事も急遽登壇
現場調査の常連さんばかりでざっくばらんな会でした
沖縄調査2026年 1月①
2026年1月23日
沖縄県での今年初の戦没者遺骨収容を実施しています。
場所は旧海軍司令部壕(豊見城市)周辺にある壕。旧海軍司令部壕においては、2022年10月から全5回、空援隊は未公開箇所で遺骨収容を実施し、多くの遺骨や遺留品を見つけました。その調査が終了した2024年1月以降、協力者のボランティアの自衛隊員らが司令部壕周辺にあるいくつかの小さな壕を、休日を利用して調査してきました。最後の1つとなった壕を、2日間で完掘することが今回の目的です。
協力者らが調査を始めた当初、地表に遺骨があり、調査するたびに大腿骨等遺骨が見つかりました。梅雨に冠水し、水が引いた後も土砂が泥のような状態だっため、数ヵ月発掘収容作業を中断。その間は壕口を広げて出入りしやすくする等、協力者が整備してきました。既に壕底(=壕が造られた当時の床)まできれいに掘り上げられていて、残っている箇所はわずか。小さな遺骨や歯、遺留品が混じっている土砂をふるいで確認。また土砂が40cm以上堆積した小さな部屋では、壕底まで土砂を掻き出しました。人数が少ないなか、調査を続けてきた自衛隊員らや、常連の参加者らのおかげで、作業が進みました。残り1日で壕を閉じます。
入口から、らせん状の階段を下りた場所
協力者らがほぼ調査を終え、残っている土砂を精査
ベテラン勢(平均年齢70歳以上!)のふるい隊
シャベルで土砂を入れる人、ふるう人と
ローテーションしながら作業されていました
水が浸入し、土砂が流れてくるため土嚢で補強。
ただ掘って終わりではない協力者の作業を見て
信頼できる仲間と一緒に活動できる嬉しさを改めて感じました。
常連の自衛隊員と名桜大生のチーム。
↓しっかり土嚢で埋められました
40cm程土砂が堆積していた場所。
中腰での作業はかなりきついですが
自衛隊員が掘り上げ、最終日に終える目途がつきました。
掘り出した土を土嚢に入れる。
これは壕をふさぐために使います。
スタッフも久々に丸一日作業し最後はヘロヘロでした…
大腿骨等大きな骨
協力者らが小さな骨も見つけてきました
小銃弾は400発以上
沖縄NICE映画祭4で空援隊の映像上映のお知らせ
(1月24日(土))
2026年1月9日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、沖縄NICE映画祭4(那覇市)で上映されることになりました。映画祭は1月23日(金)-25日(日)に開催され、様々なジャンルの作品が並んでいます。スタッフの作品は「Eブロック」で上映されます。詳細は以下をご覧ください。多くの皆様のご鑑賞をお待ちしています!
| 日時 |
2026年1月24日(土)10時~
※1番最初の上映です。このブロックでは他に2作品上映されます。 |
| 場所 |
桜坂劇場(那覇市) |
| 公式HP |
沖縄NICE映画祭4 |