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2022年11月20日
活動報告会開催
 東京で活動報告会を開催しました。沖縄で7月、9月、10月に実施した遺骨発掘収容について、映像や写真をご覧頂きながらお話ししました。今後も多くの皆様のご参加お待ちしております。




遺留品や、活動を取り上げた新聞記事等もご覧頂きました。

2022年10月05日
YouTubeに映像掲載
 YouTubeに『戦後77年 海軍壕から多数の遺骨 ー300人参加の遺骨収容 沖縄ー』を掲載しました。どうぞご覧下さい。拡散大歓迎です。

『戦後77年 海軍壕から多数の遺骨 ?300人参加の遺骨収容 沖縄?』
海軍壕遺骨収容で多くの遺骨が見つかりました。

(2022年10月)
空援隊YouTubeチャンネル
より)

※宜しければ、再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

2022年11月13日

活動報告会開催のお知らせ(東京・11月)
 東京において活動報告会を開催します。沖縄で7月、9月、10月に実施した遺骨収容活動を中心にお話しする予定です。9月の調査では、戦死したアメリカ兵の認識票を発見し、数日後にアメリカからご遺族が訪れました。また10月には旧海軍司令部壕で遺骨収容を実施し、のべ300人以上のボランティアが参加し、予想以上に多くのご遺骨や遺留品を発見しました。皆様のご参加をお待ちしております。ご参加ご希望の方は11月17日(木)までにご連絡下さい。

 ◎日時:2022年11月20日(日)午前9時30分-12時
 ◎場所:銀座区民館(東京都中央区銀座4丁目13番17号)
     ・東京メトロ 日比谷線「東銀座」駅5番出口 徒歩2分
     ・都営地下鉄 浅草線 「東銀座」駅3番出口 徒歩3分
     ・東京メトロ 銀座線 「銀 座」駅A7出口 徒歩10分
 ◎連絡先(メール)office@kuuentai.jp
     (FAX)075-321-4607
     (電 話)075-321-4661


2022年10月31日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月⑧ ご遺骨を預けました
 9日間の活動で収容したご遺骨を、遺骨収集情報センター(平和祈念公園内)に預けました。毎回言われることですが、いつ国が鑑定するかは未定だそうです。


今回収容した遺骨

 旧海軍司令部壕の未公開箇所は、遺骨収容に携わってきた人たちが、以前より調査する必要があると思っていた箇所だったそうです。とはいえ過去に複数回遺骨収容が行われていたため、見つかる遺骨は少ないと思っていました。けれども実際に見つかったのは上記の通りでした。
 今回調査した箇所は全体の5分の1。今後も引き続き調査しますので、ご参加お待ちしております。
 私達の活動は、会費と寄付、そして役員の持ち出しで何とか継続しております。宜しければご支援をご検討頂きたくどうぞ宜しくお願い致します。


2022年10月30日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月⑦最終日
 10月22日から実施してきた活動最終日。未公開部分150mのうちの30m部分を地面まで掘り出して完掘しました。9日間で参加者はのべ300人以上。中学生、高校生、大学生、ボランティアの自衛隊員、本土からの参加者、若手神職40人のグループ、最高齢の80歳、そして在沖アメリカ人やアメリカ本土からも参加し、目の高さ以上にあった土砂から、多くの遺留品、そして約15体(推定)のご遺骨を探し出しました。


 ↑最初は入り口から奥まで土が積もり
多いところでは1.5mくらい積もっていました。
  この場所の土を掘り出し、ふるって
77年前の通路を出しました。↓



 ↑掘る前は、かがまないと入れないくらい土砂が積もっていました。
 ↓全ての土砂を確認し、土嚢に入れ、この場所を土嚢で埋めました。



2022年10月29日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月⑥
4mの範囲で見つかった遺骨

 以下の写真は4mの範囲で見つかった遺骨です。これらは、今までに見つかった遺骨の一部で、様々な場所から遺骨が見つかっています。



 一方、今日は皆さんで一日かけて土をふるいましたが遺留品も遺骨もあまり見つかりませんでした。活動していればそのようなことも多々あります。重い土を掻き出して、運びだし、ふるいに載せ、水分を含んだ粘土のように固まった土から骨や遺留品を探す作業は思っている以上に体力を消耗します。何も見つからないと特に疲労を感じますが、参加者が「自分達のこの作業が次の活動に繋がるんですね」とお話しされていて実際に汗まみれ泥だらけになって活動することでしか実感できない言葉だと感じました。明日は最終日です。


2022年10月28日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月⑤若手神職ら40人が参加
 本日は神道青年会全国協議会の神職、全国氏子青年協議会の方々39人が参加されました。4日前に大腿骨が見つかった近くで、別の方の大腿骨や脛骨、肋骨等が見つかりました。最後、皆さんで祓詞(はらえことば)を上げて頂きました。




2022年10月27日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月④活動、中日
 朝一で壕を確認すると、昨日まで主力として活動して下さった学生さんたちからのメッセージが残されていました。場所が狭い、土嚢は外に出せない、道具も限られる数しかない等、色々制約が多い中でも最後までしっかり作業をして下った皆さんの思いも引き継いで、最終日の今週日曜日まで頑張ろうと元気をもらえたメッセージでした。8人の学生さんどうもありがとうございます!



 また本日は地元テレビ局2社が取材に訪れました。昨日訪れた沖縄タイムス朝刊に記事が掲載されました。
 『「まだこんなに残されているとは…」続出する遺骨に驚く収集ボランティア 沖縄の旧海軍司令部壕』
 OTV(沖縄テレビ)は本日のお昼と夕方のニュースで放送されたそうです。
 『未公開箇所で遺骨収集 旧海軍司令部壕 豊見城市』



2022年10月25日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月③多くの遺骨が見つかっています
 昨日は大腿骨等大きな骨が見つかりました。場所は観光通路のすぐそば。5cmほど掘った場所から見つかりました。参加者からは「観光客が見る場所に長年埋まっていたとは」「こんなにたくさん遺骨が見つかるとは思っていなかった」と驚きの声が聞かれています。作業は続きます。









2022年10月23日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月② 57人のボランティアが参加
 本日は57人の方々が参加されました。高校生、大学生、県外からの参加者、在沖アメリカ人等、顔触れは様々です。皆さんの力が合わさり、作業が予定以上に進みました。ご遺骨・遺留品も次々と見つかっています。







2022年10月22日

沖縄遺骨収容 旧海軍司令部壕2022年10月①遺骨収容開始
 沖縄県において、今年4回目の遺骨収容を本日から開始しました。
場所は旧海軍司令部壕の未公開部分約150m。総勢42人が参加し遺骨や遺留品が見つかっています。






2022年10月05日
YouTubeに映像掲載
 YouTubeに『77年ぶりに見つかった米兵のドッグタグと遺族の訪問、そして― 遺骨の残る沖縄で 日米合同遺骨収容2022年9月』を掲載しました。どうぞご覧下さい。拡散も大歓迎です。

『77年ぶりに見つかった米兵のドッグタグと遺族の訪問、そして―
 遺骨の残る沖縄で 日米合同遺骨収容2022年9月』

沖縄の遺骨収容で米兵のドッグタグ(認識票)が見つかり、その数日後にアメリカから遺族が沖縄を訪れました。前例のない活動の記録です。
(2022年9月)
空援隊YouTubeチャンネル
より)

※宜しければ、再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

2022年09月12日

沖縄遺骨収容2022年9月③
QUINN兵士の甥のラリーさんが壕を訪問 ドッグタグが家族のもとに

 77年前に亡くなったJohn QUINN兵士の甥のラリー・パレノさんが、おととい、壕を初めて訪れました。沖縄の遺骨収容活動において、米兵の親族が、自分の身内が亡くなった場所で遺骨収容に参加するのは、戦後77年の間でおそらく初めてのことだと思います。
 ニューヨークから前日の夜遅くに沖縄入り。翌日は朝7時前には宿を出発するという非常にハードスケジュール。他の参加者が到着する前に、4日前にQUINN兵士のドッグタグが見つかった場所に立たれました。初めての海外旅行で時差ボケもきつく、また沖縄のテレビ局3社と新聞社1社からの取材を受けて、気持ちの整理が全くつかないようでした。


認識票が見つかった場所を訪れるラリーさん。
湧き上がる気持ちを整理しきれず言葉にならない様子でした。


非常に蒸し暑い壕の中で、参加者と一緒に大きな石や土嚢袋を運ぶラリーさん。
テレビ局のカメラマンらがその様子を撮影していました。


 昨日は活動最終日。壕を後にする前に、生前QUINNさんの父(ラリーさんの祖父)が、亡くなったQUINNさんを思い書いた詩を、認識票が出た場所にラリーさんが埋め、参加者全員でそれを見守りました。
 そして本日は平和祈念公園(糸満市摩文仁)を訪問。在沖米軍基地から司祭にお越し頂き、急遽、慰霊祭が営まれました。そしてその様子をオンラインでアメリカとつなぎ、ラリーさんの親族と、壕で亡くなったもう一人のアメリカ兵のご遺族が見守りました。
 その後、QUINN兵士の名前が刻まれた平和の礎の前で、QUINN兵士のドッグタグと、そのそばで見つかった海兵隊の指輪、4月の調査で見つかった1926年製(QUINN兵士が生まれた年)の25セント銀貨をラリーさんに返還しました。

QUINN兵士の認識票、海兵隊の指輪、25セント銀貨が
77年ぶりに親族のもとに帰りました。
それらを入れる桐の箱は日本人ボランティアが用意下さいました。


 集まったメディアに対してラリーさんは「認識票の近くで遺骨が多数見つかった。日本政府に早急な鑑定を望む。」と話していました。
 尚、厚労省が遺骨の鑑定をするのは、遺骨が見つかった時期に関わらず、翌年の1月以降だと関係者は話します。私達はこの壕で4月、7月に調査を行い、いずれの回でも多くの遺骨を見つけましたが、まだ鑑定が行なわれていません。ただし、それらの遺骨が1月以降に鑑定されるわけではないという話も聞いています。沖縄で見つかったある遺骨は、氏名が分かる遺留品とともに見つかり、鑑定ができる部位も十分な量もあり、ご遺族も判明しているにもかかわらず、厚労省が鑑定に取り掛かるまでに10年以上かかったそうです。
 2016年に施行された「遺骨収集推進法」では、国は早期の遺骨収容・返還に努めると述べています。これまで私達がこの壕で収容した遺骨には日本人の遺骨も多く含まれており、日米の遺骨を判定するためにも、まずは「同位体比分析」による早急な鑑定を求めます。

これほど多くのメディアの取材を受けたことがなく
非常に緊張されていました。
遺骨収容に関わった日米の参加者に対する感謝の言葉を
繰り返し述べられていました。


2022年09月9日

沖縄遺骨収容2022年9月②
壕で亡くなった米兵の親族が明日壕を訪れます!

 77年前の1945年6月29日、私達が現在活動している壕で、2人のアメリカ海兵隊員が亡くなりました。その一人、John Quinn兵士の甥のラリーさんがニューヨークからお越しになり、明日から一緒に活動することになりました。
 かねてからラリーさんは、おじさんのQuinnさんが亡くなった沖縄を訪れたいと思っていたそうです。ようやくコロナが落ち着き、今回の参加を希望されていましたが、コロナの影響で入国の事前申請がかなり煩雑になり、前向きな気持ちにためらいが生じていたようでした。そんな中、数日前にQuinnさんのドッグタグが見つかり、すぐに飛行機のチケットを取って昨晩ニューヨークを出発。22時間のフライトを経て沖縄に到着されました。
 61年間の人生でこれが初の海外旅行とのこと。明日壕に入り、ドッグタグが見つかった場所を参加者と一緒に掘る予定です。
 4月、7月、そして今回の日米の参加者の活動が、ラリーさんの訪問につながったと強く感じます。これまでの参加者全員とラリーさんを一緒にお迎えする心持です。また、直接参加されなくとも、戦没者に心を寄せる支援者の応援があって活動が成り立っています。
 日米それぞれの戦没者が少しでも早く祖国に帰れるように明日からも活動して参ります。

昨日はドッグタグが見つかったそばで地元の大学生らが発掘。
多くの遺留品や遺骨を見つけた。


本日は上記場所で、有志の自衛隊員が頭蓋骨を見つけました。


20mの距離を何十回と往復して廃土を運んで下さった。

お茶碗がきれいに出て大喜びの米空軍兵士。
仕事を休んで毎日参加下さっています。


2022年09月06日

沖縄遺骨収容2022年9月①
壕で亡くなった米兵のドッグタグ他発見

 4月及び7月に発掘調査を実施した62師団野戦病院壕跡において、9月3日から調査を再開しました。この壕では民間人を含めて多くの日本人が亡くなりました。そして2人のアメリカ兵(海兵隊員)も亡くなり、遺体は壕に残されました。
 その2人のアメリカ兵のうちの1人John QUINN兵士のドッグタグ(認識票)が本日見つかりました。沖縄の遺骨収容の現場で、アメリカ兵のドッグタグ(認識票)が見つかることは「聞いたことがない」と沖縄で長年遺骨収容に携わってきた関係者は話しています。そしてそれ以外にもドッグタグのそばから、遺骨、海兵隊の指輪等々が見つかりました。2人のアメリカ兵は海兵隊員です。また昨日はそれらが出たそばからアメリカ製の靴底も見つかりました。
 私達がこの壕を発掘調査するきっかけとなったのは、Quinn兵士の遺族からの依頼でした。ドッグタグが見つかったことを早速NYのご遺族に知らせると「信じられない!」を何度も繰り返し言葉にならないようでした。
 今回の調査も日米合同で実施しています。今日の参加者はアメリカ兵で、彼らもとても喜んでいました。日本人の遺留品も出ていますので、日米両方の遺骨を77年ぶりに掘り起こせるように明日からも調査を続けます。

一番上から2番目にかけて「QUINN JOHN B. JR」の名前。
一番下の「USMCR」が米海兵隊を指す。

海兵隊の指輪
上の円内にUNITED STATES、下の円内にMARINEの文字が読める

 

↑昨日見つかったアメリカ製のブーツのソール。
大きいサイズでアメリカ人の可能があったため
刻まれた文字を確認したところアルファベットが読めた。
参加者のアメリカ人(↓)に読んでもらったところ
「WAR PATION SOLES」と記載されていた。
WEBで調べたところ戦前のものとのこと。

彼らがドッグタグ等を見つけた。本日は多くの遺骨や遺留品が見つかった。

2022年08月24日
YouTubeに映像掲載
 YouTube『それぞれの視線の先 -戦没者の遺体収容-』を掲載しました。どうぞご覧下さい。拡散も大歓迎です。

2015年サイパン遺骨収容の記録。それぞれの視線のその先にあるものとは。
空援隊YouTubeチャンネルより)

※宜しければ、再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

2022年8月8日
沖縄 遺骨収容・調査(2022年9月)参加者募集
 以下の日程で、沖縄において遺骨収容・調査を実施致します。ご参加ご希望の方はお問い合わせ下さい。
 【日程】2022年9月3日(土)-11日(日)
 【参加条件】
  滞在期間中、次の2つのルールを守れる方
   ・食事は食べ残さないこと
   ・禁酒
   ※安全確保のため、スタッフの指示に従って下さい
 【締め切り】
  2022年8月20日(土)
 【連絡・問合せ】
  (電話)075-321-4661
  (e-mail)
office@kuuentai.jp

2022年08月08日
YouTubeに映像掲載
 YouTubeに『-私達が参加した理由、そして- 遺骨の残る沖縄で 日米合同遺骨収容 2022年夏』を掲載しました。どうぞご覧下さい。拡散も大歓迎です。

『-私達が参加した理由、そして-
 遺骨の残る沖縄で 日米合同遺骨収容 2022年夏』

戦後77年、日米合同遺骨収容に参加した人の「率直な」思い
(2022年7月)
空援隊YouTubeチャンネルより)


※宜しければ、再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

2022年07月20日
YouTubeに映像掲載
 YouTubeに『沖縄 束辺名野戦病院壕 遺骨収容の記録(2022年7月)-この壕の日米戦没者・ご遺族へ-』を掲載しました。どうぞご覧下さい。拡散も大歓迎です。

『沖縄 束辺名野戦病院壕 遺骨収容の記録(2022年7月)
-この壕の日米戦没者・ご遺族へ-』

戦後77年、日米協力して戦没者を探す活動の記録

(2022年7月)
空援隊YouTubeチャンネル>より
※再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

2022年07月14日

沖縄遺骨収容2022年7月④
 7日間の活動が終了しました。今回、在沖アメリカ兵・軍関係者、自衛隊有志、地元の大学生・高校生、中学生・小学生のアメリカ人姉弟、神職、市会議員、アーティスト、協力団体や協力者、等々…合わせて49人、のべ132人が参加しました。収容した遺骨は土嚢袋約1袋分、遺留品は約4袋分でした。
 年齢、職業、国籍、それぞれ背景の異なる参加者が、ひとたび壕に入れば、それらを超えて協力します。特別難しいことをしているわけではありませんが、戦没者を探す思いが行動に表れるようで、言葉がなくとも思いが伝わってきます。そして、その思いは海を超え、アメリカの遺族にも伝わったようでした。
 最終日、全ての作業を終えて、オンライン中継で再び遺族と現場をつなぎました。神職が祝詞をあげられた後、アメリカ兵が日本人戦没者に、そして自衛隊員がアメリカ人戦没者に花を捧げました。遺族らは「参加者に心から感謝します」と何度も何度も述べられていました。
 4月に実施したこの壕での最初の発掘収容が、この活動が広がる大きな第一歩となり、その参加者を含めて一つのチームであり、誰一人欠けてもこの活動ができなかったと改めて感じます。参加者の皆さんそれぞれの思いが、距離を超えてアメリカの遺族に伝わり、そして彼らの思いを私達も受け取ることができました。この壕での発掘は次回に続きます。ここから遺骨がなくなったと言えるよう、次回もしっかり調査したいと思っています。
 最後、現場から引き上げる際、いつもは少しぶっきらぼうで口数の少ない方が「本当に良いものをみせてもらいました」と一言声をかけて下さったことが印象に残りました。


4月の参加者含め、この活動に関わって下さった全ての参加者に
御礼申上げます。


2022年07月11日

沖縄遺骨収容2022年7月③
 今回、在沖アメリカ兵や軍関係者、自衛隊員有志も多数参加し、かつて敵味方別れた戦った人達が共に協力して活動しています。また土日は、各日28人、33人が参加。高校生、大学生、休暇で沖縄に来る数日前に活動を知って急遽参加した方等々も。
 初めて会った人たちいきなり一緒に活動して頂いてますが、蒸し暑い中、地面に這いつくばり、同じ目的のため一緒に泥まみれ汗まみれになると、言葉を多く交わさずともぐっと相手との距離が近くなるようです。遺骨を探すには土の状態が悪いですが、参加者の前向きな思いが活動を前進させるようで、遺骨や遺留品が毎日次々に見つかっています。




2022年07月10日

沖縄遺骨収容2022年7月②

 アメリカ本土と日本とをインターネットで繋ぎ、この壕で戦死したアメリカ兵の親族たちと話をしました。
 沖縄戦が終結された(とされる)日から数日後、この壕に入ってきたアメリカ兵が日本兵に撃たれました。その直後に急行したアメリカ軍は、彼らの救出を試みましたが、日本兵の頑強な抵抗により、2人のアメリカ兵の遺体を残したまま、壕の入り口が爆破されました。
 その兵士のうちの一人、Quinn兵士のドッグタグが1993年に壕入口で見つかり、その親族とこの日話をしました。本年4月の調査では、アメリカ兵と思われる遺骨も見つかり、親族らは「日本政府に早急なDNA鑑定を求める」と話しました。そして「親族一同、皆さんの活動に心から感謝しています」と、ボランティアのメンバーたちに謝辞が伝えられました。戦没者の帰りを心から願う親族たちの思いに直に触れた時間でした。

アメリカの7か所から親族がオンライン中継に参加。
現場を目の前に感激されていました。



2022年07月07日

沖縄遺骨収容2022年7月①
 4月に調査を実施した62師団野戦病院壕跡において、発掘収容調査を再開しました。今回も在沖アメリカ兵や軍関係者らも参加する日米合同チームです。
 早速スコップで土を掘って・・・と意気込んでいた参加者もいましたが、今日の作業はひたすら土嚢づくり。「遺骨収容なのに土木作業?!」という声も若干聞かれましたが、発掘するためには、作業できるように準備をする必要があります。これがなかなかの重労働。それでも、初めて会った日米の参加者がチームワークよく大量の土嚢を作って下さいました。

スコップ持って遺骨を探す!
と意気込んでいた参加者は若干肩透かしだったとか?!



2022年6月19日
総会、年度報告会開催
 東京で総会と年度報告会を開催しました。
 新型コロナウィルス蔓延の影響で、2年以上現地調査活動が実施できませんでしたが、今年に入り沖縄で本格的に活動を再開しました。今後、沖縄が主戦場の一つになること、今後の空援隊の目標、次の世代にバトンを渡すこと等をお話ししました。



2022年5月20日
沖縄 遺骨収容・調査(2022年7月)参加者募集
 以下の日程で、沖縄において遺骨収容・調査を実施致します。ご参加ご希望の方はお問い合わせ下さい。
 【日程】2022年7月7日(木)-13日(水)
 【参加条件】
  滞在期間中、次の2つのルールを守れる方
   ・食事は食べ残さないこと
   ・禁酒
   ※安全確保のため、スタッフの指示に従って下さい
 【連絡・問合せ】
  (電話)075-321-4661
  (e-mail)office@kuuentai.jp


2022年05月20日
YouTubeに映像掲載
 YouTubeに「日米合同遺骨収容 -遺骨の残る沖縄で-」を掲載しました。英語版も掲載しています。どうぞご覧下さい。拡散も歓迎です。

『日米合同遺骨収容 -遺骨の残る沖縄で-』
沖縄で、おそらく初めてアメリカ兵らも参加した遺骨収容の記録。
(2022年4月)
空援隊YouTubeチャンネルより)


※再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい

英語版はこちら↓English Version
“Japan-U.S. Joint Recovery for the WWII Remains
in Okinawa”

空援隊YouTubeチャンネルより)


※再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい


2022年04月26日

沖縄遺骨収容2022年4月③(主催:NPO法人沖縄戦没者遺骨協議会)
 現場活動最終日を迎えました。
 約1週間で収容したご遺骨は土嚢袋約2袋分(具体的な数は未定)、遺留品は土嚢袋約7袋分見つかりました。また参加者はのべ105人、そのうち在沖アメリカ軍人や関係者らが約27人参加しました。
 収容したご遺骨は、戦没者遺骨収集情報センターにお預けしました。今回の壕は米軍資料にアメリカ兵が銃撃され、遺骨がそのまま残されたと記載された場所で、実際に25セント硬貨や折り畳み式ナイフの刃等、当時の日本人が持っていないと思われる遺留品も見つかりました。そのため、お預けした遺骨にアメリカ人の遺骨が混じっている可能性が非常に高く、鑑定においては、その点に留意し鑑定してほしい旨をセンター長に申し入れました。センター長は「(鑑定を行う)厚労省にその旨伝えます」と話しました。


アメリカ兵のものと思われる遺留品 速やかな鑑定が待たれます

 遺留品の中には、先日ここでお知らせした「植田」さんの印鑑以外にも2つの印鑑が見つかりました。「光島」印と「増田」印です。お心あたりの方がいらっしゃいましたら空援隊までご一報頂けますようどうぞ宜しくお願い致します。見つかった場所は62師団野戦病院壕です。


「光島」印


「増田」印



2022年04月23日

沖縄遺骨収容2022年4月②(主催:NPO法人沖縄戦没者遺骨協議会)
 今日で4日目。非常に多くの遺骨や遺留品が見つかります。その中にはこのようなものも。

上部には“UNITED STATES OF AMERICA”
下部には“QUARTER DOLLAR”の表記


下部に“1926”の表記


 これは1926年製造の25セント硬貨。
 記録では、この壕で2人のアメリカ兵が日本兵に銃撃され死亡、その後にアメリカ軍が入り口を爆破して封鎖したとのこと。彼らの遺骨は今も見つかっていません。
 1926年は大正15年。アメリカ兵がここにいた大きな証拠の一つだと考えます。これが見つかった場所では多くの遺骨も見つかっています。

 また「植田」と掘られた立派な印鑑も見つかりました。できればご遺族にお返ししたいと思っていますので、持ち主の手がかりとなる情報をご存知でしたら、どうぞ空援隊までご一報下さい。ここは62師団野戦病院壕です。





2022年04月20日

沖縄遺骨収容2022年4月①(主催:NPO法人沖縄戦没者遺骨協議会)
 新型コロナウィルス感染拡大の影響により、2年以上現場活動を中止せざるを得ない状況が続いていましたが、沖縄で本格的に現場活動を再開しました。 調査地はかつて野戦病院だった壕(洞窟)。事前調査で残骨や遺留品が多く見つかっていました。またここは日本兵に撃たれたアメリカ兵亡くなった場所。遺骨は今もみつかっていません。
 今回は、日本人参加者と共に、在沖縄アメリカ兵や退役軍人も参加する日米合同調査(主催:NPO法人沖縄戦没者遺骨協議会)。皆さん一緒になって汗をかきました。アメリカ人参加者からは「とても疲れたけどまた是非参加したい」という声が多く聞かれました。明日以降も作業が続きます。

沖縄において日本人と在沖米兵が一緒に遺骨収容を行うのは
初めてのことかもしれません

2022年3月23日

沖縄 遺骨収容・調査(2022年4月) 参加者募集
 以下の日程で、沖縄において遺骨収容・調査を実施致します。ご参加ご希望の方はご連絡下さい。
 【日程】2022年4月19日(火)-26日(火)
 【参加条件】
  滞在期間中、次の2つのルールを守れる方
   ・食事は食べ残さないこと
   ・禁酒
   ※安全確保のため、スタッフの指示に従って下さい
 【応募締切】2022年4月2日(土)
 【連絡先】特定非営利活動法人空援隊
       (電話)075-321-4661
       (e-mail)office@kuuentai.jp





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