理念・設立経緯
◎一体でも多く、一刻でも早くご遺骨を埋葬・供養する
◎宗教宗派・主義主張などを超えて活動する
◎できることから始める
戦没者を祖国にお迎えすること、そのための道筋を作ること
一刻でも早く、少しでも多くの戦没者を日本に迎えるために、最適の方法を考え、立ち止まらずに活動し続けること。
そして、私たちが活動しなくてもご遺骨が帰還できる道筋をつけることが私たちの目指していることです。
今ならまだ何とか間にあう。
空援隊は国内外の多くの方々・団体と協力しながら、いち早く遺骨が帰還できる道筋をつける方法を模索し、実行していきます。
平成17(2005)年6月、ジャーナリストであり、空援隊の事務局長である倉田宇山は、フィリピンに日本兵の遺骨が数多くあるという情報を聞きました。戦後60年もたち、遺骨が数多く残されているわけがないと疑いつつも、その話の真偽を確かめるために現地に行きました。
そして目にしたのが、想像をはるかに上回る夥しい数の遺骨。ずた袋に口が閉じない程詰め込まれている。その袋がひとつやふたつではく、他にもまだまだたくさんあると・・・。
帰国後すぐに所轄官庁である厚生労働省の社会援護局援護企画課外事室に行き、フィリピンで見た遺骨の報告をしました。しかし、彼らは一切動こうとしません。
そしてその年、厚労省が実施する政府派遣遺骨収集団を取材してみると―。
その活動は、現場に合わないマニュアルに沿って実施される形だけの作業。そしてそれが同じ場所で何日も続きました。
「どんなに時間とお金をかけても、こんなやり方では多くの遺骨は帰ってこない」
これまでのやり方を見直して、新しい調査方法で遺骨を探し出そう。そんな思いで遺骨の調査団体を立ち上げようと思ったのが、平成17年(2005)11月末のことでした。そして翌年の平成18年(2006)6月に任意団体として空援隊が発足、10月に京都府からNPO法人の認証が下り、正式に「特定非営利活動法人空援隊」が誕生しました。
↑袋いっぱいに詰められていた遺骨
↓帰国を待つ多くの「人」たちが海外に放置されたまま…