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●平成30(2018)年7月 サイパン調査 スタッフ日記
平成30年7月6日
サイパン遺骨調査・慰霊祭 スタッフ日記①
今年もサイパンにおいて遺骨調査と慰霊祭を執り行うため、僧侶や神官、会員さんが大雨の日本を飛び立って続々と現地に到着しました。
今日は午後から遺骨調査を実施予定でしたが、数日前から降り続く雨で現場作業は危険と判断。在サイパン総領事やサイパン市長への表敬や関係各所を訪れました。
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普段はお会いできないサイパン選出のアメリカ下院議員Gregorio Kilili氏との面会も叶いました。
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篠田欣二 在サイパン総領事には明日の慰霊祭出席のお願いをしました。
空援隊の活動に理解を示して下さっており、遺骨調査の話からこの場では書けないような(?)話まで
終始和やかな雰囲気での面会となりました。
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何度も遺骨調査をさせてもらっているお宅で吉川貴寛住職と村山博雅住職が今年も読経。
明日の慰霊祭はこのお二人のご住職と別所敬介宮司(手前)
今晩到着される松岡広也住職の4人に執り行って頂きます。
平成30年7月7日
サイパン遺骨調査・慰霊祭 スタッフ日記②
今日7月7日は、1944年にサイパンにおいて最後のバンザイ突撃が行われた日です。この日1日だけで4300人以上の日本兵と約400人のアメリカ兵が戦死しました。
その日から丁度74年後の今日、まさに戦闘が行われた場所において、第3回目となる合同慰霊祭を執り行いました。仏教・神道の宗教家が一緒になって、国のために命を捧げた方々を弔い、参列者が玉串を供えて、焼香をしました。
サイパン市長、在サイパン総領事、現地のメディア等が参列しました。
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サイパン市長はサイパン戦について、子どもたちに語りついでいく必要があると語った
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篠田欣二 在サイパン総領事は日本人や現地の人達に
サイパン戦や日本統治時代についても知ってほしいと述べた
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平成30年7月8日
サイパン遺骨調査・慰霊祭 スタッフ日記 最終日
かつて日本軍が掘ったトンネルで遺骨を探しました。人が立って歩ける比較的広いトンネルで、足元に転がる大きな石をどけると、遺留品と共に遺骨が見つかりました。遺骨は点在していて、部位がばらばらだったため、もしかしたら過去に遺骨収容が行われ、その残骨の可能性もあると思われました。
洞窟に行くには、生い茂る草木を掻き分け道なき道を進む必要があり、非常に蒸し暑い気候の中、昨日慰霊祭をして頂いたご住職も一緒に汗まみれ泥まみれになられました。ご住職からは「実際に現場に行くことで、今よりもずっと劣悪な状況だった戦時中に日本兵がどれほど大変だったか、そのことに思いを馳せることができました」というような声も聞かれました。
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洞窟で見つけた遺骨
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収容許可がないため、遺骨は元の場所に止む無く埋め戻しました。
吉川貴寛住職と松岡広也住職にお経をあげて頂きました。
最後はホテルの建設地を訪れました。ここは1944年7月7日のバンザイ突撃の最終地点近くで、遺骨が埋まっている可能性が非常に高い場所です。数年前から厚労省に情報提供をしてきましたが、結局建設が始まりました。建設が始まればそれを止めるような出来事(例:遺骨が見つかる等)は、意図的に無視される可能性が大きく、それについても厚労省には伝えていました。
国は「遺骨収容は国の責務」と言います。しかしその国が遺骨があることを分かっていながら、遺骨を収容しません。これはどういうことを意味するのでしょうか?国の遺骨収容に取り組む姿勢、そして空援隊がやるべきことについて、改めて考えさせられた最終日でした。
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ここは戦没者の遺骨が埋まっている可能性があります。
しかしその上に6階建てのホテルが建設される予定です。