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平成29年7月5日
サイパン調査 スタッフ日記①
すぐ目の前には白い砂浜と、遠浅の綺麗な海。
しかしそれには見向きもせず、話に熱心に聞き入る参加者を
通り過がりの観光客が、不思議そうに見ていました。
平成29年7月6日
サイパン調査 スタッフ日記②
頭をぶつけそうなくらい低くて狭い場所から遺骨が見つかる。
「平賀」と彫られた印鑑。
台風で倒れた巨木を皆で移動。炎天下、22歳の大学生から72歳の方、
そして慰霊祭のために来られた住職お二人も一緒に
汗まみれ、泥まみれになって、土を掘り返す作業に打ち込む。
見つかった遺骨は、私達が勝手に持ち帰ることは一切できません。
現地関係役所や、厚労省に報告するよう言われていますが、報告しても
スタッフが足りない等、役所の諸事情があるようで彼らは収容には行きません。
非常に心苦しいですが、見つけたものの、置いていくしかないのが現状です。
平成29年07月7日
サイパン調査 スタッフ日記③ 昭和19年の今日、サイパンにおいて、日本軍の最後の総攻撃、いわゆる万歳突撃が行われました。
米軍の記録で4311人の日本兵が一夜にして亡くなった日から73年後。まさに戦闘が行われた場所において、空援隊は昨年に引き続き慰霊祭を執り行いました(国際宗教同志会後援)。
市長や在サイパン日本領事、現地下院議員等、地元の方と日本からの参加者含めて50人程が参列。
神職がお祓いをした後、曹洞宗の住職がお経をあげる中、出席者全員が、ご焼香をしました。
祭壇を日本の方角である北に設えた
サイパン市長(左) 在サイパン日本総領事(右)
慰霊祭の終わりには北の空に虹が出ていました
平成29年07月8日
サイパン調査 スタッフ日記④ 今日はまず、サイパンで一番高い山タッポーチョーから、島を360度見渡しました。
南部から上陸してきた米軍と日本軍がどんな戦いをし、そしてどのように北側に追い詰められていったのか、島の地形を確認してもらいながら説明しました。数も兵力も圧倒的に劣る日本軍が、米軍に多くの犠牲者を出す戦いもしていたこと、日本軍が勇敢に戦ったこと等が当時の米軍の資料に書かれていることを知って「サイパン戦に対するイメージが変わりました」と話す参加者もいました。
午後からは、以前に遺骨を見つけた海辺近くで、その遺骨を探す調査。2年前、サイパンに甚大な被害をもたらした台風の影響で遺骨の場所が分からなくなり、皆で探しましたが、結局見つからず。遺骨を探すことの大変さを知って頂く活動となりました。
今日帰る参加者の皆さんが、遺骨がまだ多く取り残されている現状を日本で伝えていきたいと話しているのが印象的でした。
タッポーチョーでサイパン戦について説明(左) 米軍の上陸地点に立つ(右)
2年前に見つかり、埋め戻した遺骨がある場所。
米兵の可能性もある遺骨も出たため、日米両政府にすぐに報告したものの、
両政府とも収容に来ないため、今もここに。
平成29年07月9日
サイパン調査 スタッフ日記 最終日
ジャングル内に点在する洞窟の中から、遺骨のある洞窟を探す調査。
少し歩くだけでも大量の汗が。
シールドケーブ。米軍に生き埋めにされた日本人の遺骨があると思われる。
今回、サイパン戦でお祖父様を亡くされた方、またご遺族ではありませんが、
戦没者への思いを胸に参加された20代~70代が参加しました。
最後バンザイクリフで日本に向かって海ゆかばを合唱。