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●平成29(2017)年7月 サイパン調査 スタッフ日記

平成29年7月5日

サイパン調査 スタッフ日記①
 台風3号を何とか潜り抜け、北海道、千葉、東京、神奈川、山口から集まった会員さんが遺骨の調査と慰霊祭ためにサイパンにやってきました。
 到着早々サイパン戦のミニ講義。慰霊祭を執り行って頂く2人のご住職も一緒に熱心に聞き入っていました。
 夕方には大阪の会員さんも到着、明日は総勢14人で調査を行います。


すぐ目の前には白い砂浜と、遠浅の綺麗な海。
しかしそれには見向きもせず、話に熱心に聞き入る参加者を
通り過がりの観光客が、不思議そうに見ていました。

平成29年7月6日

サイパン調査 スタッフ日記②
 朝から調査開始。事前調査で遺骨が見つかっていた洞窟を日本からの参加者14人で徹底調査。身を潜めていた場所から、遺骨や遺留品が次々と見つかりました。
 午後からは、空援隊の活動に理解を示し、2年前に遺骨収容をさせて頂いたお家で、庭の土を掘り起こすお手伝い。木を植えるために土を掘っていると、以前に遺骨が見つかったすぐそばから、遺骨や三八銃の弾等が見つかりました。一般家庭の庭をスコップや熊手でただ掘っているだけで、遺骨が見つかるという実態を目の当たりに。
 いずれの場所でも村山博雅住職(国際宗教同志会、洞雲寺住職)と、松岡広也住職(光明寺)が戦没者にお経をあげられました。

 
頭をぶつけそうなくらい低くて狭い場所から遺骨が見つかる。


「平賀」と彫られた印鑑。

 
台風で倒れた巨木を皆で移動。炎天下、22歳の大学生から72歳の方、
そして慰霊祭のために来られた住職お二人も一緒に
汗まみれ、泥まみれになって、土を掘り返す作業に打ち込む。

 


見つかった遺骨は、私達が勝手に持ち帰ることは一切できません。
現地関係役所や、厚労省に報告するよう言われていますが、報告しても
スタッフが足りない等、役所の諸事情があるようで彼らは収容には行きません。
非常に心苦しいですが、見つけたものの、置いていくしかないのが現状です。

平成29年07月7日

サイパン調査 スタッフ日記③

 昭和19年の今日、サイパンにおいて、日本軍の最後の総攻撃、いわゆる万歳突撃が行われました。
 米軍の記録で4311人の日本兵が一夜にして亡くなった日から73年後。まさに戦闘が行われた場所において、空援隊は昨年に引き続き慰霊祭を執り行いました(国際宗教同志会後援)。
 市長や在サイパン日本領事、現地下院議員等、地元の方と日本からの参加者含めて50人程が参列。
 神職がお祓いをした後、曹洞宗の住職がお経をあげる中、出席者全員が、ご焼香をしました。


祭壇を日本の方角である北に設えた

 

 
サイパン市長(左) 在サイパン日本総領事(右)


慰霊祭の終わりには北の空に虹が出ていました

平成29年07月8日

サイパン調査 スタッフ日記④

 今日はまず、サイパンで一番高い山タッポーチョーから、島を360度見渡しました。
 南部から上陸してきた米軍と日本軍がどんな戦いをし、そしてどのように北側に追い詰められていったのか、島の地形を確認してもらいながら説明しました。数も兵力も圧倒的に劣る日本軍が、米軍に多くの犠牲者を出す戦いもしていたこと、日本軍が勇敢に戦ったこと等が当時の米軍の資料に書かれていることを知って「サイパン戦に対するイメージが変わりました」と話す参加者もいました。
 午後からは、以前に遺骨を見つけた海辺近くで、その遺骨を探す調査。2年前、サイパンに甚大な被害をもたらした台風の影響で遺骨の場所が分からなくなり、皆で探しましたが、結局見つからず。遺骨を探すことの大変さを知って頂く活動となりました。
 今日帰る参加者の皆さんが、遺骨がまだ多く取り残されている現状を日本で伝えていきたいと話しているのが印象的でした。

 
タッポーチョーでサイパン戦について説明(左) 米軍の上陸地点に立つ(右)          


2年前に見つかり、埋め戻した遺骨がある場所。
米兵の可能性もある遺骨も出たため、日米両政府にすぐに報告したものの、
両政府とも収容に来ないため、今もここに。

平成29年07月9日

サイパン調査 スタッフ日記 最終日
 今回のサイパン調査では、遺骨がある場所を探す調査、また遺骨を見つけたという情報を基に、洞窟やその他様々な場所で遺骨を探す調査等、サイパンでの色々なパターンの遺骨調査をしてもらいました。


ジャングル内に点在する洞窟の中から、遺骨のある洞窟を探す調査。
少し歩くだけでも大量の汗が。

 また戦跡めぐりもし、日本人がいる洞窟の入り口を米軍が爆破して塞いだ「シールドケーブ」も見に行きました。その奥には遺骨があるはずですが、非常に大がかりな作業が必要で、そこは民間団体では開けることが難しい場所です。(ただし費用があれば開けることは可能)。

 
シールドケーブ。米軍に生き埋めにされた日本人の遺骨があると思われる。

 その一方、道路からすぐそばの洞窟や土の中に遺骨があるのに、厚労省に通報しても何年経っても収容されない遺骨もあります。また慰霊祭では現地協力者が所有地から見つけた遺骨を「弔って下さい」と、昨年に引き続き持ってきて下さいました。しかし現地役所に通報しても役所の倉庫に置かれるだけなので、慰霊祭後は再び家で保管をお願いしました。これらの遺骨は目の前にあるのに、祖国に戻れません。遺骨収容活動の現実の一端を皆さんに知ってもらいました。
 今日は、帰国前に遺骨のある洞窟を探し、最後はバンザイクリフに。日本に向かって「海ゆかば」を合唱。色々な思いが浮かんできたのか「目から流れる多くの汗を止めることが出来なかった」と話す方も。


今回、サイパン戦でお祖父様を亡くされた方、またご遺族ではありませんが、
戦没者への思いを胸に参加された20代~70代が参加しました。
最後バンザイクリフで日本に向かって海ゆかばを合唱。

 現在のサイパンは戦争があったことが信じられないような、のどかで、小さなリゾート地の島です。そこで、汗まみれ泥まみれになって活動をすることで、参加者それぞれ色々な思いを抱え、日本に戻られたようでした。
 私達はまたサイパンに行きます。宜しければ、是非一緒に活動に参加して下さい。





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