活動内容>最近の活動>前のページに戻る
●平成28(2016)年7月 サイパン調査 スタッフ日記
平成28年07月03日
サイパン調査 スタッフ日記①
サイパンにおける遺骨調査のため現地に到着しました。今回の活動目的のひとつは慰霊祭。これは国際宗教同志会との共催で7月7日に執り行います。
7月7日は、昭和19年にサイパンにおいて最後の組織的なバンザイ突撃が行われた日。式典はまさにその戦場で行います。
3万人近い日本人戦没者が置き去りにされたままと言われるこの島で、今回は会員さん、そして宗教家の方々も調査に参加。果たしてどんな活動になるのか。
日々の活動(とスタッフのぼやき?)を少しずつ報告して参ります。
サイパンで一番高い山、タッポーチョー頂上。島を一望しながらサイパン戦について説明。
追記:空港の税関で、サイパンに来たのは何回目かを聞かれ、
「5回以上」と答えると
とびきりの笑顔と共に「サイパンが好きなのね!ありがとう!!」と言われました。
サイパンは海もきれいでのんびりしていて、皆さん親切でとても良い所です。
でも、遺骨調査の訪問では、毎日ひたすら汗と泥まみれ・・・。
海は目の前ですが、入ったことは一度もなく・・・。
嬉しい気持ちで来られるようになるには、戦没者が早く日本に戻ること。
「見つかっている遺骨くらい、早く日本政府がとりに来て!」
そんなことを、観光客を横目に、全身泥まみれになって宿に戻る時、特に思います・・・
平成28年07月04日
サイパン調査 スタッフ日記②
海岸や洞窟で遺骨の捜索を行いました。誰もが行ける場所にまだまだ遺骨があります。調査をしていると現地の方から遺骨情報も舞い込みます。そして、現地の方からの情報によって、今日遺骨が見つかりました。
現地の人は知っています。島のあちらこちらにまだ遺骨が残っていることを。そんな状況を、参加者に知ってもらうため、明日も活動します。
シールドケーブ(爆弾等で米軍が入り口を塞いだ洞窟)。中に戦没者が残されていると思われる。
洞窟内の遺骨。探せば探すだけ見つかった。 地元の方の情報で遺骨を探す。
追記:国際宗教同志会の事務局長で、金光教泉尾教会の三宅善信総長が到着しました。
平成28年07月05日
サイパン調査 スタッフ日記③
サイパン観光局長への表敬訪問と遺骨調査に行ってきました。観光局ではサイパンにおける調査の状況や問題点等をお伝えし、慰霊祭へのご出席を約束頂きました。
その後は遺骨調査に。洞窟が点在し、戦闘が行われたと思われる場所にも行きました。サンゴ礁が隆起してできた島なので、とにかく足場が悪い!平らな道はなく、道なき道を草や木をかき分けて進みながら、切り立った場所を上り下り。思った以上に苦労しました。2キロもない距離で、1時間程しか歩いていないのですが、汗びっしょり。
その後は遺骨のある洞窟に行き、手にとってもらいました。「道路からすぐそばに遺骨があるのですね」と初参加の神職が仰っていました。
なお、普段はほとんど歩かないというその神職。私達はサイパンの山を連れ回し、かなりへろへろにさせてしまいました。慰霊祭の前に現場を知ってもらい、ご遺骨もご覧頂いたので良かったと勝手に解釈していますが、筋肉痛で慰霊祭が・・・とならないことを願っています。
サイパン観光局。遺骨調査の実施には現地の役所や住民と協力関係を結ぶ努力を重ねることが必要。
サンゴ礁が突き出て痛い。引っかかってTシャツが破れた方も…。
洞窟に放置されている遺骨をご覧頂きました。ちなみにここの遺骨は数年前に厚労省に報告済みです
追記:
ご神職にほふく前進して頂きました。慰霊祭ではどのようなお姿になられるのか…密かな楽しみです。
平成28年07月06日
サイパン調査 スタッフ日記④
表敬訪問の一日でした。日本領事館では、収容活動が阻害されていること等、領事に現状を伝えました。また国際宗教同志会の方々からも収容を進めるために協力してほしいと訴え、領事は「できうる限り努力します」と話しました。
続いてサイパン市長を訪れると、空援隊が数年前から現地で活動していることをご存知で、活動を応援頂きました。
日本領事館 サイパン市長
HPO(歴史保存局)では、昨年の調査で私達が収容した遺骨を見せてもらいました。1年近くたっても日本政府が収容に来ないため、目の前の遺骨はこの役所のコンテナに入れられたまま。国際宗教同志会の会長は
「事情を知れば知るほど大変な現状がある。けれどこのまま放っておくわけにはいかない。遺骨収容の面からも戦後が終わっていないと言える」
と語りました。
昨年収容された状態のまま、紙袋に遺骨が入っている。
昨年遺骨が見つかった時点で厚労省には連絡済み。
HPOが遺骨を見せてくれたのは宗教家の方々と一緒だったため。空援隊だけでは見せてもらえない。
現状を少しでも実感して頂きたいと思い、この2日間で色々と体験して頂き、ご覧頂きました。そして、明日7月7日慰霊祭に臨みます。
追記:お二人の住職も到着。
格好が珍しかったのか、税関では普通の人が質問されないようなことを長々と聞かれたそうです。
服装に関しての質問等、そのほとんどは、単なる税関職員の興味でしょうが・・・。
平成28年07月07日
サイパン調査 スタッフ日記⑤
昭和19年7月7日の午前3時頃、サイパンにおける最後の組織的なバンザイ突撃が行われ、4311人(※)の日本人が亡くなりました(※米軍資料より)。
そして72年後の丁度同じ日に、空援隊と国際宗教同志会との共催で、慰霊祭を執り行いました。場所は、4年前の平成24年に空援隊が163体の遺骨を収容したまさにその場所。祭壇を日本の方向に向け、宗教家の方々が宗教・宗派を超えて、戦没者のために祈りを捧げました。
今回の活動では、昨年空援隊とKUNETAI-USAが見つけた遺骨を慰霊祭の前に収容し、それらを前にして、慰霊祭を執り行う予定でした。しかし、突然収容ができなくなり、慰霊祭で弔うことができなくなりました(理由については、写真の次に記します)。そう、昨日までは・・・。
ところが、今朝、突然近所の方が私達を訪れ、海岸で見つけたという遺骨を届けて下さいました。そして、現地役所関係者や協力者らが戦没者を前に、祈りを捧げました。
朝、近所の住民が遺骨を届けて下さった。
遺骨の収容許可を取り消す連絡があったのは、約1ヶ月前のこと。我々が持っていた遺骨収容の許可を、現地の役所であるHPO(歴史保存局)が取り消しました。法的根拠のないその違法な行為に対して、私達は最後の最後まで交渉をし、多くの現地関係者達も様々な働きかけをしてきました。
しかし今回は収容がかないませんでした。
慰霊祭に参列されたサイパン副知事は仰いました。
「サイパンでは、亡くなった方々を慰霊するのは大切な習慣であり、慰霊祭に出席するのは当然だと思っています。出席できて非常に嬉しく思います。帰国するまでに私達ができることがあれば何でも言って下さい」
副知事のようにサイパンの多くの方々が、私達の活動に理解を示して下さり、その方々の協力もあってこれまで活動をしてこられました。しかしHPOの対応は、そのようなサイパンの方々とは全く違うように感じます。それは各役所の方々や、サイパン住民に話しを聞いても、HPOに対する疑問や不信感の声を聞きます。HPOがなぜそのように、私達の活動を妨害するのかは今のところよく分かりません。
昨年遺骨が見つかったのは慰霊祭を行った敷地内です。日本政府と米国政府には昨年遺骨を見つけた時点で伝えていますが、今も何も連絡はありません。今のところ両国の対応は、遺骨収容を進めるようには思えません。私達は戦没者を日本に少しでも早くお迎えするために、今後もより一層の努力を重ねます。
追記:慰霊祭後、宗教家の方々を戦跡等にご案内しました。慰霊祭で大変お疲れでしたが、せっかく来て頂いたので、是非色々見て頂きたいという思いがあり、引き連れ回してしまったかもしれません・・・。これに懲りずまたご参加頂きたいです。
捕虜になることを良しとしない民間人らが、米軍に追い詰められ身を投げた。場所:バンザイクリフ
国際宗教同志会の西田会長にも遺骨のある洞窟にほふく前進で入って頂きました。
今までの最高齢、86歳です!
平成28年07月08日
サイパン調査 スタッフ日記⑥
正直、今回の活動は慰霊祭以外は、行く前から心苦しいものがありました。昨年、時間切れで泣く泣く埋め戻さざるを得なかった遺骨を、何とかして少しでも早く収容するために、昨年の調査直後から何度もサイパンに足を運び、調整を続けてきました。ようやく活動資金の目途がたち、参加者を募集し、地元の新聞も、遺骨収容と慰霊祭を7月に実施すると報道しました。
ところが、突然の許可取り消し。(※理由は
7月7日のスタッフ日記を参照)
忙しい中、日程調整頂いた宗教家の方々、会社に無理を言って休みをとり参加される会員さん等、皆さん自費です。また地元で私達の活動を応援し、協力を申し出てして下さった方々や、日本で応援して下さる方々。何より、目の前に埋まっている方々を土から出すことが叶わない現実。
それでも、皆さんがサイパンに駆けつけて下さいました。中には、突然予定が空いたということで、慰霊祭当日サイパン入りした住職もいらっしゃいます。そして慰霊祭では皆さんが戦没者遺に祈りを捧げました。
慰霊祭に急きょ駆けつけて下さった方の中に、サイパン副知事のVictor Hocogさんがいらっしゃいました。出席予定だった知事が、当日朝に急用が入り、代理として参列して下さったのです。副知事は既に入っていた予定を返上しての参列で、私達は初対面でした。
一夜明けて、副知事にお礼をしたいと連絡したところ、この日の午前中に時間を空けて下さいました。当日朝に約束を入れての訪問なので、昨日の慰霊祭のお礼だけのつもりだけでしたが、副知事から、空援隊が直面している問題について質問を受けました。
サイパン副領事Victor Hocogさん
発掘・収容をするために、サイパンや米国の法令に従って許可を得て活動を行っていること等を、許可書や資料をお見せしながら私達は伝えました。それにも関わらず、HPO(歴史保存局)に法的根拠のない条件を何度も提示され、それに対応してきたことを伝えると、副知事は何度も謝罪されました。
また副知事は許可書を発行した担当ディレクターをすぐに呼び、事情を知っているかどうかを確認。そのディレクターの知らないところで、HPOによって許可が取り消されていることにディレクターも驚き、お怒りになり、1時間以上にわたって、お二人は私達の話しに耳を傾け、何度も質問をし、事情を把握することに努められました。日本政府の対応についても聞かれましたが、この地において国が積極的な活動をしていないことも伝えました。
最後に副知事は「次の収容の日程が決まったら連絡して下さい。その際には収容が出来るようにします」と約束して下さいました。
(左)これまでの経緯について許可書やメールをご覧になる副知事とディレクター
(右)国際宗教同志会の西田会長、神職、住職の方々、空援隊の会員、戦没者遺骨早期収容促進協議会の小西理事長もこの会談に出席しました。
この日の副知事との会談で、新たな展開の芽が生まれたように思います。副知事を動かしたのは、日本の宗教家の方々が執り行った昨日の慰霊祭が大きかったようです。副知事との会談の後、住職が仰っしゃいました。
「日本を除けば、宗教家は各国で特別な存在として認識されています。それがサイパンの人達に影響を与えたのだと思います。」「サイパンの一部の役所の不可解な動き、日本政府が積極的に動こうとしてないこと等、短期間の参加ではありましたが、事情が少し分かりました。私も遺骨収容のためにこれから日本で動きます。収容する際には呼んで下さい」と。
住職を含めて日本からの参加者に現状をご覧頂くことで、何かを感じて頂くきっかけになったようです。これが実際の動きにつながるように、私達はどんなに困難であっても、その壁が高ければ高いほど、諦めることなく、今後もより一層の努力を続けます。