お知らせ・メディア

■お知らせ


 平成26(2014)年
 平成27(2015)年

平成28年12月09日

年次報告会開催
 東京で年次報告会を開催しました。今年の成果と課題、遺骨収容の現状、今後の取り組み等をお話しました。


(京橋区民館・東京都中央区)


平成28年10月22日

報告会開催
 東京事務所で報告会を開催しました。10年以上国の遺骨収容事業を見てきて(時には一緒に活動もして)、国がこの事業に積極的に取り組もうとしていないこと。それは戦没者遺骨収集推進法が成立しても変わらないこと。そのような状況の中、多くの戦没者を、本当に日本にお迎えするために空援隊が今後どのような活動をしようと考えているのかをお話しました。

 
初出席の方もいらっしゃり、毎日放送のドキュメンタリー番組(8月放送)や
7月のサイパン慰霊祭の映像をご覧頂き、現地での活動を紹介しました。

平成28年10月15日

北海道支部報告会
 室蘭市で北海道支部が活動報告会を開催しました。今年7月のサイパン慰霊祭の様子等をお話ししました。


平成28年10月15日

講演しました
 「終わらない戦争 ~戦後七十二年を経て~」という内容で、倉田専務理事が一燈園「秋の集い」で講演をしました(京都市山科区)。
 約10年前までは多くの遺骨が残されていることを全く知らなかったにもかかわらず、その後調査のために多い年で1年に15回も海外に行くようになった理由等、フィリピンでの活動を中心にお話しをしました。中学生・高校生から、戦争を体験された方まで幅広い年代の方々が熱心に話に耳を傾けて下さいました。


 中高生からの率直な意見が印象的でした。何か少しでも考えて頂ける
きっかけになればと思い、これからも講演活動も続けます。是非お声掛け下さい!

平成28年09月10日

緊急報告会開催
 今後の方針についてお話ししました。


平成28年07月25日

文化講演会で講演しました
 東京日本橋で「終わらない戦争! ~放置された遺骨の行方~」という内容で倉田専務理事が講演をしました(開催:日本橋モラロジー事務所 第16回文化講演会)。
 7月のサイパン調査の映像や、これまでの活動の写真、グラフ等ご覧頂きながら、2時間目いっぱい使ってお話しました。「いつもの文化講演会とは異色だった」とのことでしたが、皆さん熱心にお聞き下さいました。
 今後も全国各地様々な所で遺骨収容について発信していきたいと思っています。是非お呼び下さい!






長期密着(?)取材中のTV局も関西から駆けつけました。OA情報はまたお知らせします。

平成28年07月08日

サイパン調査 スタッフ日記⑥
 正直、今回の活動は慰霊祭以外は、行く前から心苦しいものがありました。昨年、時間切れで泣く泣く埋め戻さざるを得なかった遺骨を、何とかして少しでも早く収容するために、昨年の調査直後から何度もサイパンに足を運び、調整を続けてきました。ようやく活動資金の目途がたち、参加者を募集し、地元の新聞も、遺骨収容と慰霊祭を7月に実施すると報道しました。
 ところが、突然の許可取り消し。(※理由は7月7日のスタッフ日記を参照)
 忙しい中、日程調整頂いた宗教家の方々、会社に無理を言って休みをとり参加される会員さん等、皆さん自費です。また地元で私達の活動を応援し、協力を申し出てして下さった方々や、日本で応援して下さる方々。何より、目の前に埋まっている方々を土から出すことが叶わない現実。
 それでも、皆さんがサイパンに駆けつけて下さいました。中には、突然予定が空いたということで、慰霊祭当日サイパン入りした住職もいらっしゃいます。そして慰霊祭では皆さんが戦没者遺に祈りを捧げました。

 慰霊祭に急きょ駆けつけて下さった方の中に、サイパン副知事のVictor Hocogさんがいらっしゃいました。出席予定だった知事が、当日朝に急用が入り、代理として参列して下さったのです。副知事は既に入っていた予定を返上しての参列で、私達は初対面でした。
 一夜明けて、副知事にお礼をしたいと連絡したところ、この日の午前中に時間を空けて下さいました。当日朝に約束を入れての訪問なので、昨日の慰霊祭のお礼だけのつもりだけでしたが、副知事から、空援隊が直面している問題について質問を受けました。


サイパン副領事Victor Hocogさん

 発掘・収容をするために、サイパンや米国の法令に従って許可を得て活動を行っていること等を、許可書や資料をお見せしながら私達は伝えました。それにも関わらず、HPO(歴史保存局)に法的根拠のない条件を何度も提示され、それに対応してきたことを伝えると、副知事は何度も謝罪されました。
 また副知事は許可書を発行した担当ディレクターをすぐに呼び、事情を知っているかどうかを確認。そのディレクターの知らないところで、HPOによって許可が取り消されていることにディレクターも驚き、お怒りになり、1時間以上にわたって、お二人は私達の話しに耳を傾け、何度も質問をし、事情を把握することに努められました。日本政府の対応についても聞かれましたが、この地において国が積極的な活動をしていないことも伝えました。
 最後に副知事は「次の収容の日程が決まったら連絡して下さい。その際には収容が出来るようにします」と約束して下さいました。

 

 (左)これまでの経緯について許可書やメールをご覧になる副知事とディレクター
 (右)国際宗教同志会の西田会長、神職、住職の方々、空援隊の会員、戦没者遺骨早期収容促進協議会の小西理事長もこの会談に出席しました。

  この日の副知事との会談で、新たな展開の芽が生まれたように思います。副知事を動かしたのは、日本の宗教家の方々が執り行った昨日の慰霊祭が大きかったようです。副知事との会談の後、住職が仰っしゃいました。
 「日本を除けば、宗教家は各国で特別な存在として認識されています。それがサイパンの人達に影響を与えたのだと思います。」「サイパンの一部の役所の不可解な動き、日本政府が積極的に動こうとしてないこと等、短期間の参加ではありましたが、事情が少し分かりました。私も遺骨収容のためにこれから日本で動きます。収容する際には呼んで下さい」と。
 住職を含めて日本からの参加者に現状をご覧頂くことで、何かを感じて頂くきっかけになったようです。これが実際の動きにつながるように、私達はどんなに困難であっても、その壁が高ければ高いほど、諦めることなく、今後もより一層の努力を続けます。

平成28年07月07日

サイパン調査 スタッフ日記⑤
 昭和19年7月7日の午前3時頃、サイパンにおける最後の組織的なバンザイ突撃が行われ、4311人(※)の日本人が亡くなりました(※米軍資料より)。
そして72年後の丁度同じ日に、空援隊と国際宗教同志会との共催で、慰霊祭を執り行いました。場所は、4年前の平成24年に空援隊が163体の遺骨を収容したまさにその場所。祭壇を日本の方向に向け、宗教家の方々が宗教・宗派を超えて、戦没者のために祈りを捧げました。

 

 

 今回の活動では、昨年空援隊とKUNETAI-USAが見つけた遺骨を慰霊祭の前に収容し、それらを前にして、慰霊祭を執り行う予定でした。しかし、突然収容ができなくなり、慰霊祭で弔うことができなくなりました(理由については、写真の次に記します)。そう、昨日までは・・・。
 ところが、今朝、突然近所の方が私達を訪れ、海岸で見つけたという遺骨を届けて下さいました。そして、現地役所関係者や協力者らが戦没者を前に、祈りを捧げました。


朝、近所の住民が遺骨を届けて下さった。
 

 遺骨の収容許可を取り消す連絡があったのは、約1ヶ月前のこと。我々が持っていた遺骨収容の許可を、現地の役所であるHPO(歴史保存局)が取り消しました。法的根拠のないその違法な行為に対して、私達は最後の最後まで交渉をし、多くの現地関係者達も様々な働きかけをしてきました。
 しかし今回は収容がかないませんでした。
 慰霊祭に参列されたサイパン副知事は仰いました。
 「サイパンでは、亡くなった方々を慰霊するのは大切な習慣であり、慰霊祭に出席するのは当然だと思っています。出席できて非常に嬉しく思います。帰国するまでに私達ができることがあれば何でも言って下さい」
 副知事のようにサイパンの多くの方々が、私達の活動に理解を示して下さり、その方々の協力もあってこれまで活動をしてこられました。しかしHPOの対応は、そのようなサイパンの方々とは全く違うように感じます。それは各役所の方々や、サイパン住民に話しを聞いても、HPOに対する疑問や不信感の声を聞きます。HPOがなぜそのように、私達の活動を妨害するのかは今のところよく分かりません。

 昨年遺骨が見つかったのは慰霊祭を行った敷地内です。日本政府と米国政府には昨年遺骨を見つけた時点で伝えていますが、今も何も連絡はありません。今のところ両国の対応は、遺骨収容を進めるようには思えません。私達は戦没者を日本に少しでも早くお迎えするために、今後もより一層の努力を重ねます。

追記:慰霊祭後、宗教家の方々を戦跡等にご案内しました。慰霊祭で大変お疲れでしたが、せっかく来て頂いたので、是非色々見て頂きたいという思いがあり、引き連れ回してしまったかもしれません・・・。これに懲りずまたご参加頂きたいです。

 
捕虜になることを良しとしない民間人らが、米軍に追い詰められ身を投げた。場所:バンザイクリフ
国際宗教同志会の西田会長にも遺骨のある洞窟にほふく前進で入って頂きました。
今までの最高齢、86歳です!



平成28年07月06日

サイパン調査 スタッフ日記④
表敬訪問の一日でした。日本領事館では、収容活動が阻害されていること等、領事に現状を伝えました。また国際宗教同志会の方々からも収容を進めるために協力してほしいと訴え、領事は「できうる限り努力します」と話しました。
続いてサイパン市長を訪れると、空援隊が数年前から現地で活動していることをご存知で、活動を応援頂きました。

 

            日本領事館              サイパン市長

HPO(歴史保存局)では、昨年の調査で私達が収容した遺骨を見せてもらいました。1年近くたっても日本政府が収容に来ないため、目の前の遺骨はこの役所のコンテナに入れられたまま。国際宗教同志会の会長は
 「事情を知れば知るほど大変な現状がある。けれどこのまま放っておくわけにはいかない。遺骨収容の面からも戦後が終わっていないと言える」
と語りました。


昨年収容された状態のまま、紙袋に遺骨が入っている。

昨年遺骨が見つかった時点で厚労省には連絡済み。
HPOが遺骨を見せてくれたのは宗教家の方々と一緒だったため。空援隊だけでは見せてもらえない。

現状を少しでも実感して頂きたいと思い、この2日間で色々と体験して頂き、ご覧頂きました。そして、明日7月7日慰霊祭に臨みます。

追記:お二人の住職も到着。

格好が珍しかったのか、税関では普通の人が質問されないようなことを長々と聞かれたそうです。
服装に関しての質問等、そのほとんどは、単なる税関職員の興味でしょうが・・・。


平成28年07月05日

サイパン調査 スタッフ日記③
 サイパン観光局長への表敬訪問と遺骨調査に行ってきました。観光局ではサイパンにおける調査の状況や問題点等をお伝えし、慰霊祭へのご出席を約束頂きました。
 その後は遺骨調査に。洞窟が点在し、戦闘が行われたと思われる場所にも行きました。サンゴ礁が隆起してできた島なので、とにかく足場が悪い!平らな道はなく、道なき道を草や木をかき分けて進みながら、切り立った場所を上り下り。思った以上に苦労しました。2キロもない距離で、1時間程しか歩いていないのですが、汗びっしょり。
 その後は遺骨のある洞窟に行き、手にとってもらいました。「道路からすぐそばに遺骨があるのですね」と初参加の神職が仰っていました。
 
 なお、普段はほとんど歩かないというその神職。私達はサイパンの山を連れ回し、かなりへろへろにさせてしまいました。慰霊祭の前に現場を知ってもらい、ご遺骨もご覧頂いたので良かったと勝手に解釈していますが、筋肉痛で慰霊祭が・・・とならないことを願っています。


サイパン観光局。遺骨調査の実施には現地の役所や住民と協力関係を結ぶ努力を重ねることが必要。


サンゴ礁が突き出て痛い。引っかかってTシャツが破れた方も…。

洞窟に放置されている遺骨をご覧頂きました。ちなみにここの遺骨は数年前に厚労省に報告済みです

追記:

ご神職にほふく前進して頂きました。慰霊祭ではどのようなお姿になられるのか…密かな楽しみです。


平成28年07月04日

サイパン調査 スタッフ日記②
 海岸や洞窟で遺骨の捜索を行いました。誰もが行ける場所にまだまだ遺骨があります。調査をしていると現地の方から遺骨情報も舞い込みます。そして、現地の方からの情報によって、今日遺骨が見つかりました。
 現地の人は知っています。島のあちらこちらにまだ遺骨が残っていることを。そんな状況を、参加者に知ってもらうため、明日も活動します。


シールドケーブ(爆弾等で米軍が入り口を塞いだ洞窟)。中に戦没者が残されていると思われる。


洞窟内の遺骨。探せば探すだけ見つかった。  地元の方の情報で遺骨を探す。      


追記:国際宗教同志会の事務局長で、金光教泉尾教会の三宅善信総長が到着しました。



平成28年07月03日

サイパン調査 スタッフ日記①
 サイパンにおける遺骨調査のため現地に到着しました。今回の活動目的のひとつは慰霊祭。これは国際宗教同志会との共催で7月7日に執り行います。
 7月7日は、昭和19年にサイパンにおいて最後の組織的なバンザイ突撃が行われた日。式典はまさにその戦場で行います。
 3万人近い日本人戦没者が置き去りにされたままと言われるこの島で、今回は会員さん、そして宗教家の方々も調査に参加。果たしてどんな活動になるのか。
 日々の活動(とスタッフのぼやき?)を少しずつ報告して参ります。


サイパンで一番高い山、タッポーチョー頂上。島を一望しながらサイパン戦について説明。


 追記:空港の税関で、サイパンに来たのは何回目かを聞かれ、

   「5回以上」と答えると

   とびきりの笑顔と共に「サイパンが好きなのね!ありがとう!!」と言われました。

   サイパンは海もきれいでのんびりしていて、皆さん親切でとても良い所です。
   でも、遺骨調査の訪問では、毎日ひたすら汗と泥まみれ・・・。
   海は目の前ですが、入ったことは一度もなく・・・。

   嬉しい気持ちで来られるようになるには、戦没者が早く日本に戻ること。
  「見つかっている遺骨くらい、早く日本政府がとりに来て!」
   そんなことを、観光客を横目に、全身泥まみれになって宿に戻る時、特に思います・・・

平成28年05月14日

社員総会、年度報告会、懇親会を開催しました(東京事務所)
 定期社員総会、年度報告会、懇親会を東京事務所で開催、関西や北海道からも参加頂きました。多くのご遺族が亡くなり、遺骨の風化や損失、遺骨所在地の情報も少なくなる中で、どうすれば戦没者を迅速に日本にお迎えすることができるのか。会員の皆さんを含めて真剣に考え、今後の活動方針について意見の交換を致しました。
 そして近いうちに空援隊からいくつか案を出して、会員の皆さんのご意見もうかがいながら、今後の活動方針を決めることになりました。

 


何よりも戦没者のことを思い、考え、そのためにはどうすれば良いのか意見を出し合いました。


テレビ局の取材もありました。

平成28年04月12日

遺族に遺留品を届けに行きました
 戦時中に米軍関係者が硫黄島で拾った日本兵の遺留品を、福島県二本松市に住む遺族に届けに行きました。
 遺留品は海軍からの召集令状等で、空援隊が現地役所に調べてもらったところ、渡辺弘爾(ひろじ)さんのものだと分かりました。弘爾さんは海軍に志願し、19歳の時に招集され、21歳の時に硫黄島の戦いで亡くなりました。
 遺留品は米軍関係者が硫黄島から米国に持ち帰り、その方の死後、遺品の中からご家族によって見つけ出されました。ご家族は「是非日本の遺族のもとに届けてほしい」と、KUENTAI-USA(空援隊の米国の姉妹団体)に情報を寄せ、空援隊が弘爾さんの生まれ故郷に届けに行きました。
 10年間の洞窟調査や発掘調査において、空援隊は数多くの遺品を見てきましたが、紙の遺留品は今まで見たことがありません。弘爾さんの弟の智さんと、政寿さんもこの日集まり、お兄さんの出征の際のこと等をお話し下さいました。生きて帰ってくるものだとばかりだと信じていたものの、戦死してからは遺骨も遺品も戻ってこなかったので、70年以上たってこのようなことは奇跡だと仰っていました。空援隊の倉田専務理事は無事にご家族にお渡しできてほっとしたと述べていました。


横須賀鎮守府からの海軍召集令状等

平成28年03月11日

報告会を開催しました
東京事務所で活動報告会を開催しました。海外調査から帰国したばかりの倉田専務理事が各地域の状況を報告。サイパンでは、中国企業のカジノホテル建設現場から大量の遺骨が見つかり、その遺骨の対応を疑問視する報道が今年ありました。空援隊は日本人の遺骨が見つかった場合の対応を懸念しており、日米両国の遺骨や古代の現地人の遺骨がそれぞれ適切に扱われるように関係者と会ってきました。フィリピンでは、空援隊が厚労省から預り、厚労省がフィリピン国立博物館に放ったらかしのままにしている3000体のご遺骨のこと等をお話ししました。
また初めての方もいらっしゃったので、これまでの活動の歴史や、今後遺骨収容活動をどのように広めていくのか等もお話ししました。今後も多くの方に活動を知って頂く機会を持っていきたいと思っております



■メディア


 ◎平成26(2014年)以前

平成28年8月23日

TV放送のお知らせ
空援隊を取材したドキュメンタリー番組が以下の日時に放送されます。※今回は関西のみの放送です
  ○放送局 MBSテレビ(毎日放送 ローカルで4ch)
  ○日時  8月28日(日)25時20分~26時20分
     (=8月29日(月)深夜1時20分~2時20分)
  ○番組名 MBSドキュメンタリー映像’16 
       「誰が遺骨を帰すのか~玉砕の島サイパン・72年目の夏」
  ※番組内容、予告動画等は、こちら→番組HP


平成28年7月25日

新聞掲載のお知らせ
サイパンの地元新聞「Marianas Variety」と「Saipan Tribune」に空援隊と国際宗教同志会の共催で執り行った7月7日の慰霊祭の記事が掲載されました。「Saipan Tribune」は7月8日の記事に引き続き、第2弾です。
 Marianas Variety 2016年7月11日
 「Kuentai-USA holds memorial services for war dead」

 Saipan Tribune 2016年7月12日
 「Purification ceremony held to heal wounds of war」

平成28年7月08日

TVニュース報道のお知らせ
サイパンの地元TV局が7月7日の慰霊祭をニュース番組で報道しました。
 KSPN2 News 7月7日  10分頃~です。

平成28年7月08日

新聞掲載のお知らせ
サイパンの地元新聞「Saipan Tribune」に空援隊と国際宗教同志会の共催で執り行った7月7日の慰霊祭の記事が掲載されました。
 「Time to bring WWII Japanese soldiers’ remains home」 2016年7月8日
 「今こそ日本兵の遺骨を故郷に」

 (日本語の意訳)
 第二次世界大戦のサイパン戦で亡くなった人達の霊を慰めるために、日本のNPO団体空援隊が慰霊祭を執り行いました。慰霊祭は神式・仏式の両方で行われました。開始前には、地元住民が自分の土地で集めた遺骨を空援隊に渡しました。

 遺骨を見つけたRamon. P. Crisostomoさんは、この遺骨が72年前のサイパン戦で亡くなった、兵士か市民であると話しました。「私はアクア・リゾート・クラブホテル(アチュガオ地区)の裏に住んでいます。これまでにここで多くの遺骨が見つかりました。実際に父は、1960年代後半、日本の遺骨収容を手伝いました。」
 Crisostomoさんは空援隊に遺骨を渡そうと思っていたそうです。「空援隊が慰霊祭を執り行うために、わざわざ日本から来ると知って遺骨を探していました。遺骨となられた方々の霊が慰められ、家族のもとに戻ることを願っています。」「日本の団体はかつて、日本人戦没者の遺骨を探しに来ました。今、空援隊は日本とアメリカ両国の兵士や市民の遺骨を探しています」とCrisostomoさんは言います。
 Crisostomoさんは元アメリカの軍人だったことから、遺骨が戻らなかった家族の気持ちがよく分かるとも言います。「空援隊は日米両国の立場に立っています。そして戦争で亡くなり、行方不明となった人達の遺骨を探しているのです。」「今こそ亡くなった人達を故郷に帰し、きちんと埋葬する時です。遺骨を集め、火葬し、親族のもとに帰すのです。兵士達はヨーロッパや、朝鮮、その他アジアや太平洋地域にも行っています」ともCrisostomoさんは語りました。

 サイパン副知事のVictor B. Hocog氏は次のように語りました。「日米戦は暗い歴史の一部であり、私達は決して忘れてはいけません。日米両国はそれぞれの大義を持って闘い、我々は平和を築くために努めました。」「私は空援隊の遺骨収容活動を非常に素晴らしいものだと思っています。全関係機関に空援隊に協力するように求めています。」なお、空援隊の支援を担当してくれる関係機関は公共地管理局とHPO(歴史保存局)の二つです。

 松村敏夫・日本領事は、悲惨な戦争の記憶を決して忘れてはならないと語り、「私達は戦争で亡くなった方々に哀悼の意を表します。我々は平和の尊さを次の世代に伝えていかなければなりません。」と述べました。

 サイパン市長のDavid M. Apatangは、戦争の傷を癒そうと語りました。「そのためには多くの時間がかかり、忍耐や、数多くの方々の理解や支援が必要です。この慰霊祭がその傷を癒すものだと確信しています。」「時として過去を思い出すのは辛いことですが、しかし、それに幕を引く事も大切なことです。その道のりは、決して簡単ではありません。」また、市長はこの慰霊祭が恒久平和の象徴でもあり「この慰霊祭こそが遺骨収容や、平和や友好を促進させるものになります。」とも述べました。

 サイパン戦では5万5千人以上の方が亡くなり、そのうち約2万8千人の日本人と、500人近いアメリカ兵の遺骨がまだ収容されていません。

平成28年4月13日

新聞掲載のお知らせ
「福島民報」(4月13日朝刊)に
 「硫黄島で戦死した渡辺弘爾さん 遺品二本松に帰還 京都のNPO届ける」の記事が掲載されました。
 こちら→http://www.minpo.jp/news/detail/2016041330246

 この遺品は米軍関係者が、戦時中に硫黄島で拾ったもので、その米軍関係者の死後、ご家族が日本の遺族への返還を希望されていました。そこで空援隊が二本松市のご遺族のもとに届けに行きました。

平成27年3月31日

雑誌掲載のお知らせ
 月刊雑誌「WiLL5月号」(出版社:WAC)に「サイパンの遺骨と残された二本の万年筆」(八木澤高明)の記事が掲載されております。
 これは、平成23年のサイパンの集団埋葬地調br査の際に、空援隊が見つけた万年筆に関する記事です。
 ジャーナリストの八木澤高明氏が万年筆の持ち主の遺族を見つけ、サイパンでの空援隊の調査の様子を含めて記事にしています。




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