一日も早い解散を目指して
『第3回旧海軍司令部壕遺骨収容
活動レポート(沖縄)』
胎児と思われる遺骨が見つかり、名前の入った筆箱は遺族の元へ…。
沖縄での遺骨収容レポート
(2023年7月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『沖縄戦で亡くなった兵士の万年筆が
78年ぶりに娘のもとへー6月12日-
「旧海軍司令部壕」遺骨調査その後』
「宮本」と彫られた日本兵の万年筆がご遺族に戻りました。
その日は78年前に兵士が戦死した日でした。
(2023年6月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『500人の遺骨収容
沖縄 陸軍第62師団野戦病院壕跡
ー多数の参加で進む活動ー』
日米の認識票の返還等「前例がない」と言われた1年間の活動の記録です。
(2023年5月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『77年ぶりに見つかった米兵のドッグタグと
遺族の訪問、そしてー
遺骨の残る沖縄で 日米合同遺骨収容2022年9月』
沖縄NICE映画祭1(2023)で、NICE沖縄賞受賞作品!
沖縄の遺骨収容で米兵のドッグタグが見つかりました。その3日後にアメリカから遺族が沖縄を訪問。前例がない出来事が重なった活動記録です。
(2022年9月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『遺族も参加 ー沖縄を世界初の遺骨のない島にー
第2回 旧海軍司令部壕遺骨収容』
旧海軍司令部壕(沖縄県)未公開箇所の戦没者遺骨収容の2回目。
ご遺族も参加した遺骨収容のレポートです。
(2023年3月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『時田敏さんの認識票 遺族に返還
ー陸軍第62師団野戦病院壕跡ー』
日本兵の認識票をご遺族に返還しました。
(2023年3月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『戦後78年 編成表が結ぶ戦没者と遺族
ー空援隊レポート 旧海軍司令部壕調査その後ー』
昨年2022年10月に空援隊が実施した、沖縄県の海軍壕遺骨調査で収容された砲弾の薬きょうから見つかった海軍陸戦隊の編成表。そこに記載されていた沖縄県出身の軍人のご遺族が、編成表と対面しました。
(2023年2月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『戦後77年 海軍壕から多数の遺骨
ー300人参加の遺骨収容 沖縄ー』
海軍壕遺骨収容で多くの遺骨が見つかりました。
(2022年10月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『-私達が参加した理由、そして-
遺骨の残る沖縄で 日米合同遺骨収容 2022年夏』
戦後77年、日米合同遺骨収容に参加した人の「率直な」思い
(2022年7月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※宜しければ再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『沖縄 束辺名野戦病院壕 遺骨収容の記録(2022年7月)
-この壕の日米戦没者・ご遺族へ-』
戦後77年、日米協力して戦没者を探す活動の記録
(2022年7月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※再生後、画面右下に表示される「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『日米合同遺骨収容 -遺骨の残る沖縄で-』
アメリカ兵らも参加した沖縄での遺骨収容の記録。
(2022年4月)
(空援隊YouTubeチャンネルより)
※再生後、画面右下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
「映像」ページではこれまでの調査を多数掲載しています | ||||
フィリピン | サイパン・グアム | アメリカ | 日本 | |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
第25、26回調査 | 第27回調査 | 修学旅行生 遺骨の埋葬地に |
空援隊が見つけた米兵遺骨故郷に | 日本兵の遺留品 71年ぶりに故郷に ~二本松市~ |
映像「それぞれの視線の先
-戦没者の遺体収容-」
(空援隊YouTubeチャンネル掲載)
2015年サイパン遺骨収容の記録。参加者の視線のその先にあるものとは…。
※尚、この際収容できなかった遺骨は、8年経って日本政府が2022年に収容しました。